✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

2021-01-01から1年間の記事一覧

わたしたちの聲音

メモ。「私はもう私がわからなくなって来た。私はただ近づいてくる機械の鋭い先尖がじりじり私を狙っているのを感じるだけだ」(横光利一) よろこべと命じられてよろこぶなんてまっぴらだ。私たちの絶望に対する渾身の抵抗が自由を信じたいと願うあなたと共…

距離をとる

メモ。「私は十二歳で父を、十六歳で母を、十七歳で祖母を亡くし、それらの経験を通して目の前の物事を眺めるようになったのです。それが物事を客観的に見、ひたすら観察する目です。これは非常に重要なことです。だからこそ、物事を俯瞰し、客観視するアン…

「モデル・マイノリティ」なんて、いないってばほんともう何度言わせんの

メモ、メモ、メモ……ニケシュ・シュクラのこの本が翻訳・刊行されて以来、ことあるごとにこの本を捲ってはメモをしている。 「本書が生まれる発端となったのは、『ガーディアン』紙に掲載されたある記事に対する一つのコメントでした。はい、承知しています。…

愛おしい不純な奴ら

メモ。「複数の言語をまたぐことで雑多な偽物が生まれてくる。カルチュラル・スタディーズならば混淆性や多様性なんてきれいな言葉で語るのだろうが、そうした便利な言葉で捉えてしまえば、周囲に理解されず受け入れられない多くの、境界線上にいる人びとが…

彼女たちと〈私〉の絆

メモ。「アメリカ生まれの中国人たち,あなたたちの中の中国的部分を理解しようとする時、あなたたちは幼少期に特有なもの,貧困によるもの,狂気によるもの,自分の家族にだけ関わるもの,成長段階に合わせて母親が話してくれたものと,中国的なるものとを…

責任と快感

メモ。「創作は純粋な行為ではありません。歴史をひもといてみればあきらかです。イデオロギーが要求します。社会が要求します。(…)作家は、書きはじめる前からさまざまな規範(モラル)に捉えられています。規範は多岐にわたり、芸術的、イデオロギー的、…

私でいる責任

メモ。「私には考える時間がある。それこそ大きな、いや最大のぜいたくというものだ。私には存在する時間がある。だから私には巨大な責任がある。私に残された生が何年であろうと、時間を上手に使い、力のかぎりをつくして生きることだ。これは私を不安にさ…

「冷笑ではなく希望を 怒りではなく喜びを」

メモ。「冷笑は、何よりもまず自分をアピールするスタイルの一種だ。冷笑家は、自分が愚かではないことと、騙されにくいことを、何よりも誇りにしている。(…)冷笑家は、失望した理想主義者だったり、非現実的な評価基準の支持者だったりすることが多い。彼…

「人之初,性本善」

メモ。「……例え真逆のことが真実に見える時でも、私はその言葉を心から信じています。私はいつでも、自分が訪れた世界の全ての場所で出会った人々の中に善良さを見つけています。 信じるものを持ち、善良さを自分の中に繋ぎとめる勇気、お互いの中に繋ぎとめ…

まじめに練習する日々

メモ。 「自伝や回顧録なら、ひとつ自分の声だけで書くということもある。ただし、自伝や回想録に出てくる人がみんな、作者のしゃべってほしいことばかり話しているなら、読者に聞こえてくるのは作者のおしゃべりだけだ――際限も説得力もないひとり語りである…

「日本人」というカテゴリー

メモ。 「私には複数のアイデンティティなどありません。ただ一つのアイデンティティしかないのです。このアイデンティティはさまざまな要素から成り立っているのですが、ただ、その〈配分〉が人ごとにまったく異なるのです。 ところが、私という人間の成り…

選挙と家族

「河畔で出会った人びととの無駄話」や、「編み物」「子供の世話」や「食事の準備」をする女たちを横目に「釣り竿を握って、コルクの浮きが水面で揺れ動くのを監視することで時間を浪費したくなかった」ディディエ・エリボンは、「この種の暇つぶし」を嫌悪…

肉体よりさらに裸形の言葉

テレサ・ハッキョン・チャの名前を知ったのは、池内靖子さんと西成彦さんが編んだ『異郷の身体 テレサ・ハッキョン・チャをめぐって』に、まず強く惹かれたため。以来、『ディクテ』もまた、私の未だ読破できていない「愛読書」の一つとなった。「自らの生と…

投票しよう🗳

メモ。「〈わたしたち〉とは誰だろう。この問いは、どのような声を聞いているのがわたしたちか、どのような声が含まれているのがわたしたちか、と言い換えられる。ドイツ語で〈声〉を意味する言葉〈Stimme(シュティメ)〉は、選挙の〈票〉のことでもある。し…

わたしたちが、愉快であるときには

ティモシー・モートン、テジュ・コール。開かれた都市。世界との対話。以下は、篠原雅武さんのことば。 「私たちが愉快でいることができているとき、私たちがさまざまに現れてしまっている状態を、統制しようとはしない。さまざまに現れ、さまざまに受けとめ…

線、線、線…

「歩くこと、織ること、観察すること、歌うこと、物語ること、描くこと、書くこと。これらに共通しているのは何か? それは、こうしたすべてが何らかのラインに沿って進行するということである」と始まる本。原題は、ラインズ。線、線、線……文字は、線。読め…

「私の言葉は私のつくった言葉ではない」

きのう、トリン・T・ミンハを抜粋していたら、鴻池朋子さんと矢野智司さんの対談「〈贈与〉と〈交換〉」を再読したくなった。 矢野智司さん曰く「言葉は〈私〉に先行する〈多くの誰か〉によって、途切れることなく使用され、継承されることで新たに形成され…

ただ一つのメッセージという幻想から逃れるためには

トリン・T・ミンハの本は、引用だらけだ。私は、本の中に織り込まれたありとあらゆる他者の言葉に対する著者の敬意を感じながら、あくまでも敬意にもとづいて選ばれた言葉たちが重なりあってミンハという作家の文章をつくりあげているさまをまのあたりにする…

日本語の包容力

アゴタ・クリストフは書く。「わたしは、自分が永久に、フランス語を母語とする作家が書くようにはフランス語を書くようにならないことを承知している。けれども、わたしは自分にできる最高をめざして書いていくつもりだ」。 わたしもまた、「自分にできる最…

私の人生の発音不可能な部分

ノーマ・フィールドが、『天皇の逝く国で』の日本語版がみすず書房から出ることになったとき、「パキスタン系英文学者サーラ・スレーリの著書で、たいへんな共感を抱いていた『肉のない日』を訳した」大島かおりさんに、翻訳をお願いしたかったと語っている…

今、思うこと。

メモ。「私たちの検討している問題の枠組みでは、どれほど強い人でも、他者の支援なしには、善きことも悲しきことも何も実行することはできないという洞察が重要になります。ここにあるのは平等性という観念であり、それが〈指導者〉という観念、指導者とは…

憎しみに、抗いたい

エムケは書く。「憎しみの対象は、恣意的に作り出される。憎むのに都合よく」。であるからこそ、「世間の基準から外れていても幸せな生き方と愛し方の物語を語ることもまた、排斥と憎しみに抗う戦術のひとつなのだ。不幸と蔑視のあらゆる物語とは別の次元で…

ブログ「温聲筆記」始めます

読書日記、と呼べるほど立派なものではないけれど、昔から私は、本をぱらぱらっとめくって「いいなぁ!」と思った文章や言葉があると、読むだけでは飽き足らずノートに書きとめることで存分に噛みしめてきました。何年も前に記したメモの言葉と不意に「再会…