トリン・T・ミンハの本は、引用だらけだ。私は、本の中に織り込まれたありとあらゆる他者の言葉に対する著者の敬意を感じながら、あくまでも敬意にもとづいて選ばれた言葉たちが重なりあってミンハという作家の文章をつくりあげているさまをまのあたりにすることで、他人の言葉に導かれることなしには、思索も、言葉を用いることそれじたいも、実質、不可能なのだという現実を何度も認識し直す。
ミンハは、言う(書く)。
「書くことは他人の言葉に耳を傾け、他人の目で読むこととも言える。耳をたくさん持っていれば、それだけ多くの意味がわかるし、ただ一つのメッセージという幻想に囚われなくてすむ。話すことから離れたとき、書きはじめるとも言える。そのとき、話すことから手を放し、話が自分で語るのに任せているのだと。私がそこにいるのは、ただ話に道をつけるためだけ。〈作家〉や〈著者〉という言葉に暗示されている個という概念を、一個の独立した自己の投影と見るのではなく、テクストを操るわれわれ共通の通路とみなしてもよいではないか」。
今日の源:トリン・T・ミンハ著、竹村和子訳『女性・ネイティヴ・他者 ポストコロニアリズムとフェミニズム』(岩波書店、1995)