✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

肉体よりさらに裸形の言葉

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テレサ・ハッキョン・チャの名前を知ったのは、池内靖子さんと西成彦さんが編んだ『異郷の身体 テレサ・ハッキョン・チャをめぐって』に、まず強く惹かれたため。以来、『ディクテ』もまた、私の未だ読破できていない「愛読書」の一つとなった。「自らの生と現代史を一冊に凝縮した究極の実験的テクスト」と銘打たれた『ディクテ』を捲るたび、私はどうだろう? と問いたくなる。母や祖母や曾祖母、ひょっとしたら伯母や大叔母、大伯父の配偶者にあたる女らなども含めて、私は、私の乏しい想像力をひっさげて、どこまでなら、かのじょたちに真に近づけるのか?

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テレサ・ハッキョン・チャは「書く」。

「お母さん、あなたは18歳。あなたは、満州ヨンジュンに生れた。そこがあなたのその時の住まい。あなたは中国人ではない。あなたは朝鮮人。しかしあなたの家族は日本の占領を逃れてここに移り住んだ。中国は大きい。たんに大きいというよりいっそう大きい。

(……)家の人たちはあなたを世間から守ってくれた。にもかかわらず、あなたはその言葉を、強制された言語を、他の人と同じように、話している。それはあなたのものではない。あなた自身の言葉でないとしても、あなたは話さなければならないことを知っている。あなたはバイリンガル(二言語使用者)なのだ。あなたはトライリンガル(三言語使用者)なのだ。禁じられた言語があなたの母語。あなたは暗闇のなかで話す。あなたのものである言葉を。あなたのもの。あなたはとても小さな声でささやくように話す。暗闇のなか、こっそりと。母語はあなたの隠れ家。それは故郷にあること。あなた自身であること。真に。母語を話すことであなたは淋しくなる。焦がれる熱い思い。一つ一つの言葉を発することはあなたにとって死の危険を犯すという特権でもある。あなたにとってだけでなく全員にとっての。あなたがたはみんな同じ一つの存在、法によって言葉を禁じられ沈黙させられた……」。

 

『異郷の身体 テレサ・ハッキョン・チャをめぐって』の巻頭に収められた文章「Message in a Bottleを前にして」(西成彦)には、「これほど誰もがみずからに宛てられていると実感しうるにもかかわらず、自分こそが選ばれた読者だと名乗ることにためらいを感じるテクストも珍しい。英語圏でも韓国でも日本においても同じことだ」。

 

今日の源:池内靖子/西成彦編『異郷の身体 テレサ・ハッキョン・チャをめぐって』(人文書院、2006)、テレサ・ハッキョン・チャ著、池内靖子訳『ディクテ 韓国系アメリカ人女性アーティストによる自伝的エクリチュール』(青土社、2003)