✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

「私の言葉は私のつくった言葉ではない」

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きのう、トリン・T・ミンハを抜粋していたら、鴻池朋子さんと矢野智司さんの対談「〈贈与〉と〈交換〉」を再読したくなった。

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矢野智司さん曰く「言葉は〈私〉に先行する〈多くの誰か〉によって、途切れることなく使用され、継承されることで新たに形成されてきたものです。ですから、その言葉を使用する瞬間瞬間は、それを使ってきた先行する〈多くの誰か〉が織りなした言葉の形を、手がかりに創造している」。

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「私」と意識した瞬間、「私」と「私ならざるもの」との関係は始まる。

日記や手記とちがって、小説を書くときに一人称を用いると決めたなら、ここにいる私は、私が書く文章の中の「私」にとって、徹底的な「私ならざるもの」になる覚悟をしなければならない。そう気づくまで、私にはけっこうな時間が必要だった。

今日の源:鴻池朋子著『どうぶつのことば 根源的暴力をこえて』(羽鳥書店、2016)