✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

「モデル・マイノリティ」なんて、いないってばほんともう何度言わせんの

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 メモ、メモ、メモ……ニケシュ・シュクラのこの本が翻訳・刊行されて以来、ことあるごとにこの本を捲ってはメモをしている。

「本書が生まれる発端となったのは、『ガーディアン』紙に掲載されたある記事に対する一つのコメントでした。はい、承知しています。コメント欄なんて読むな、とおっしゃるのでしょう。でも私は読むようにしています。自分の敵を知りたいからです」(P3,編者まえがき)

「有色人である私たちは絶えず、自分たちが占めている場は正当なものだと説明せねばならないのか、自分たちは努力して席を獲得したことを示さねばならないのか、という不安につきまとわれつづけるのです」(同上)

「私たちは人種についてだけ書いているわけでもありません。ですが、(…)移民や難民に対する後ろ向きな態度や、今日に至るまでこの国にはびこっている組織的人種差別のことを踏まえ、今、有色人種であるとはどういうことなのか、その実状を伝える本をつくらねばならないと感じたのです。すでに私たちは、自分たちの席の正当性を証明し終えてますから」(P4)

 この2,3年の間に、私のもとに舞い込んだいくつかの依頼。「多様性を謳うために」「海外ルーツをもつ人々を理解するために」、もっと露骨に言えば「移民や難民に対する後ろ向きな態度」を持つ人々やそういう人々が大勢いる日本のわるくちを言わせるために、「リベラル」を自称する人たちからの依頼が、ときどき私に舞い込む。私が、「当事者」の中ではなかなか日本語を巧みに使いこなすほうであるからという理由で。百歩譲って、気持ちはわかる、わかるよ。日本はあいかわらず息苦しい。風穴を私だっていつも求めている。

 でも、頼むから、私(と似た境遇にいる人びと)にばかり、担わせないで。私たちだけが「当事者」だと思わないで。モデル・マイノリティなんて、いない。何度も言わさないで。その態度は私(と似た境遇にいる人びと)を無視し、抑圧するマジョリティ―の態度とほぼ表裏一体なのだと早く気づいて。少なくとも私は、日本は国際化しつつある、というアリバイ作りに加担したくない。「モデル・マイノリティ」としてチヤホヤされることに何の疑問も感じずにいられるなら楽だろうなと思うことはある。でも、マジョリティが望む「モデル・マイノリティ」になっただけでは、風穴はあかない。スローガンを唱えていればいいだけなら、文学も芸術も必要ない。

 

追記。私をいつまでも励ましてくれる『よい移民』を翻訳なさった栢木清吾さんとも、こんなふうに語らいました。

imidas.jp

 

 

今日の源:ニケシュ・シュラク著、栢木清吾訳『よい移民 現代イギリスを生きる21人の物語』(創元社、2019)