メモ。
「自伝や回顧録なら、ひとつ自分の声だけで書くということもある。ただし、自伝や回想録に出てくる人がみんな、作者のしゃべってほしいことばかり話しているなら、読者に聞こえてくるのは作者のおしゃべりだけだ――際限も説得力もないひとり語りである。同じことをやらかす創作の書き手もいる。登場人物を、自分の言いたいことや耳にしたいことの代弁者として利用してしまうのだ。そうなると、みんな同じようなしゃべり方で、登場人物も作者の小型拡声器以外の何ものでもない、そんな物語を読者がつかまされることとなる。
この場合に必要なのは、聞こえた他者の声を用い、受け入れて用いられる自分を意識して、まじめに練習することである。
自分語りの代わりに、自分を媒介として他者に語らせてみよう」(ル=グウィン)。
学生の頃、創作のゼミで小説と称して色々書いてみた私の原稿を読んでくれたひとたちは私に言った。「あなたの作品には、あなたしかいない」。小説家としてデビューしたあと、私の書いた原稿を読み、私に書き直しを要求する歴代の編集者たちから言われるのも、いつも似たようなことだった。「オーケー。あなたが言いたいことはとてもよくわかった。ただしこの原稿には、あなたが言いたいと強く思っていること以外のことを感じている存在の声がほとんど聞こえてこない。それが問題だ」。
今も私は「まじめに練習する」日々である。幸い、この練習は楽しい。仮に、理想の小説がすぐには書きあがらなくても、この練習を重ねることによって「他者の声を受け入れられる」自分が鍛えられてゆくのなら、そのこと自体だけでも、一人の人間である私が「成熟」するうえでも大いに役立つはずだと信じている。