✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

🏵ミモザの日に

わたしは、この本のなかで紹介されているアイルランドの作家メアリー・ダフィーのことばがとんでもなく好きで、特に太文字にした箇所は、もはや創作の指針になっている。

感情を昂らせるのでもなく哀れみを誘うものでもなく、多様性と豊かさを併せもつ障害のイメージ、人間の一部としての障害のイメージをわたしは捜し求めていた。わたしが自分の身体について感じていることが、実は障害を持たない人が自分の身体について感じていることとそれほど違いはないことが分かってきた。彼らは単に正常という衣を纏っているにすぎない。彼らの正常という考え方がわたしを裸にする。わたしは幸いにも周縁にいて、基準から外れ、自分のアイデンティティを無視され、それゆえ新たに、誇りと障害を持って、自分のアイデンティティを創造することを余儀なくされている」。

笠原美智子著『ジェンダー写真論 1991ー2017』里山社、2018)

はからずも今日は国際女性デー。それで考えた。もしもあなたがほんとうにそれで幸せなら、わたしはあなたの幸福が続くのを祈るだけ。けれどもあなたが幸せそうに見られたいと常に装っていて、ましてや、そのことのために慢性的な不幸に陥っているのなら、「いまの日本社会の中には、真綿で首をしめるようにやさしくあなたを追いつめる、見えない力」は、やっぱりまだ不気味に強烈なのだろう。

フェミニズム」は、「あらゆるセクシュアリテイ、人種、民族、年齢、階級の人々が、お互いとお互いがより良く共に在るための、お互いがお互いをより愛するための、常に現在進行形の、たゆまぬプロセス上にある行為なのではないかと思う」と笠原美智子氏が書いたのは1996年。1980年生まれのわたしが16歳の頃のこと。2024年。女性たちにとって、この国のありようは、少しマシになった。少なくとも私は、そう感じられる部分はあると思う。国際女性デーの今日ばかりは、悲観よりも希望を持とうと思う。先々のためにも🏵