✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

私のものではない私の言葉を十分に生ききるには……

メモ。「今日、自分のものではない言語圏に暮らす人々がどれほどたくさんいることか。あるいはもはや自国語を知らず、いまだ知らず、みずからが使用することを強いられたメジャー言語をよく知らない人々もいるのではないか。移民たちと、とりわけその子どもたちの問題である。それこそマイナー文学の問題であるが、実は私たちみんなの問題でもある。自分自身の言語から、いかにマイナー文学をもぎとり、それが言葉を穿ち、簡素な革命的方向に言葉を迷走させるようにもっていくか。いかにして遊牧民になり、自分自身の言語にとってジプシーになるか。カフカは言うのだ。揺りかごから子どもを盗むこと、綱渡りをすること」(ドゥルーズガタリ

 ”自分自身の言語にとってジプシーになる”って、どういうことなのだろう? こういうことなのか? 大学院生の頃、この本を懸命に拾い読みしながら李良枝についてずっと考えていた。自分自身についても考えていた。言語がほんとうに揺りかごのようなものなのだとしたら、私たちは盗まれた子どもなのだろうか? 盗まれながらも愛された子どもは、どうやってその親に呑み込まれずに自分自身の言語を取り戻し、場合によっては親にも刃向かうようになるのだろうか?

今日の源:ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ著、宇野邦一訳『カフカ マイナー文学のために〈新訳〉』(法政大学出版、2017)

映画『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』が、私に思い出させてくれたこと。

〆切が目前に迫るアレやコレがどれもこれもはかどらず、今日はひとまずみんな放り出して、『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』(フィリップ・ファラルド監督、2020)を観に行くことにしたのだった。

とても素敵な映画だった。小説、と称した何かを書くという行為に没頭し、できれば他に何もしたくないと切に祈っていた23、4歳の頃の自分や、当時の自分を突き動かしていたまじりっけのないときめきが蘇る。あの頃からまるで変わらない。書いても、書いても、書き切った気がしない。私の中心を占領し、私のありとあらゆる行動を駆り立てているのは、「作家でありたい」という欲望なのだなと認めざるを得ない。未だに、作家になりたい、作家でありたいと望む自分自身の厄介さや滑稽みが愛おしくなるような、と同時に、自分が作家という存在に昔から抱いてきた敬意が清らかに募ってくるような、そういう気持ちにさせられる映画だった。映画を観ている間、歴代編集者さん(現在進行形の案件も含む)のことも、次々と浮かんだ。私の原稿が私以外の人々にとっても「価値」があると信じさせてくれる彼らに支えられて、どうにか書き続けてきた日々のことを思った。私が書いているのは、小説と称した何か、などではなく、小説に他ならない。いい加減、自信を持たなくては。わかっている。私が、私の書くものになかなか満足できないのは、作家でありたい、と切に望んでいた頃の自分をちっとも忘れていないからだ。まじりっけのないときめき。それが、今も自分を動かしているのだと思い出させてくれる、とても素敵な映画だった。気力回復。さあ、この調子で、アレが迫るコレやソレをどんどん仕上げるぞ!

今日の源:『マイ・ニューヨーク・ダイアリー』(フィリップ・ファラルド監督、2020)

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ペーパーガイジンの憂鬱

メモ。「おれは兵隊にひっぱられていらい、身分の登録の類いにアレルギーになったのさ。いったい全体、考えてもみろ、紙きれ一枚でひとの身分を拘束できる、などということがあってよいものか。こいつはどう考えてもペテンだ。ところが世の中にはどんなに喚きたてたって、人間一匹が紙きれ一枚にかなわないことが実在するんだからね」(大庭みな子)

運転免許証の更新時期が迫ってきた。紙の上では運転が「できる」ことになっている自分が相変わらず落ち着かない。私はペーパードライバーかつペーパーガイジン。紙の上ではガイジンというこの境遇から見える景色に目を凝らしながら、画面の中の自由(小説を書くこと)を追究する日々です。愉快に憂鬱な日々を淡々と。それにしても有効期限は「平成34年06月14日」。平成は30年で終わることを、まだみんなが知らなかった頃に交付されたのだった。終わらなかった平成、終わっていない昭和。書かなくちゃ、書かなくちゃ…

今日の源:大庭みな子著『ふなくい虫』(1974)



絶対の自由に安らってーー創作と批評について

メモ。「作家にとっての作品は十全に準備された放たれた矢である(…)敏感な読者は確実に存在し、しっかり矢を受け止めている。しかし、それだけでは作家は闇夜に小さな的を目がけて矢を放つようなものだ。作家が弓を引き絞るために力を矯めるのを見守り、的に矢が当たりやすいように照明を工夫する人間がどれほどいるだろうか。そこで行き当たるのは批評の成熟の問題である」(桐野夏生

 5月。この4月は個人的に独特の緊張感を抱いて過ごした。200枚を超える小説を発表するのは久々で、新人賞の受賞1作目「来福の家」や、その後、7年以上もかかってどうにか心ゆくまでの形に仕上がった「真ん中の子どもたち」に続く「第3」のデビュー作を、日の目に晒すような心地でいたのだ。

 不遜な言い方かもしれないが、私のあの作品をほんとうに必要としてくれる読者、敏感な読者はいるだろうし、今すぐではなくても、十何年も経ってから、ボロボロに擦り切れた色褪せた雑誌に載っている「祝宴」と題された作品を読んで「自分のためにこの小説は書かれたに違いない」と思う人もいるだろう。私が、私にとって大切な幾冊かの本や作家たちとそうやって巡り合えたように。

 正直、「祝宴」を無事に書き終えられたことで、私は以前よりも強気でこうした可能性を信じられるようになった。
 さらに遡って言えば、高村薫さんが「実に平凡な母娘の人生の微細な愛憎を端正な小説の言葉にしている」と『魯肉飯のさえずり』を評して下さったおかげで私は、記憶の中で疼くものを「小説の言葉にする」自分の筆力を、以前ほどは疑わなくなった。むしろ、書くことを望む限り、筆力を信じる責任が自分にはあるのだと思うようになった。「祝宴」はそのような心境の中で書いた作品だ。だからこそ、先日、担当編集者さんが届けてくれた読売新聞の文芸月評(2022/04/26付)では、私の創作の「土台」にまで言及してもらえたことに心底励まされた。

石沢麻依さん、奈倉有里さんと自分の写真が並んで嬉しい。この月評を通して知った自分(たち)と同世代の松井十四季さんによる「100年後の大和人」も気になる!

 私は書くのも読むのも遅く、毎月届く文芸誌はほとんどが積読状態だ。表紙に躍る作家の名前や特集の組まれ方に興味を持ち、あとでゆっくり読もうと思っているうちに次の号が出ている。しかし今月は特別だった。とりわけ、自作も載る「新潮5月号」に、奈倉有里さんの「緊急報告」、無数の橋をかけなおすーーロシアから届く反戦の声ーーが載っていることには、大袈裟ではなく、何か救われるような思いがした。

 台湾海峡が封鎖されて、故郷に帰れなくなった両親。時代が変わって、両親にとって戻れなかった中国大陸は、台湾のビジネスマンにとって潤沢な市場となった。その商機に巧みに乗じて大成した一人の男が、最愛の娘との間に思いがけず生じた歪みにもがく…奈倉さんがお書きになる「無数の橋をかけなおす」という試みを、私もまた、あの小説を書くことで試していた気がしている。その意味では、やはりこの2022年4月に発売された「群像5月号」に、石沢麻依さんの小説「月の三相」があることにも、非常に勇気づけられた(しかも同号の「群像」には、その石沢さんが高橋たか子『亡命者』に寄せた批評も載っている。なんと画期的な編集なのだろう)。

 石沢さんは42歳、奈倉さんは39歳、私は41歳で、そうであるからこそ余計に、自分と同世代かつ同性でもある「知識人」たちが、2022年を挟んだ前後半世紀以上の「世界地図」をそれぞれの角度から徹底的に意識し、その思考の過程を土台に、「圧倒的な暴力の前で」、「個の軌跡」とその「内面世界」を描く「使命」を備える文学の可能性をどのように信頼しているのか知るのは、私にとって大きな学びである。

 創作は、その著者自身の現代世界に対する批評性抜きには成り立たないし、批評は、評する対象である創作物への根源的な尊重がなくては鋭くも深くもならない。文学が「絶対の自由に安らって」(高橋陽子)駆け続けるためには、創作と批評の充実が不可欠なのだと改めて思う。ちなみに、絶対の自由に安らって、は「群像5月号」に掲載された小説「川むこうの丘」より。あかるい嫉妬を燃やしたくなる表現にすっかり魅入られている。自由と安らぎのために、書く。「敏感な読者」のために、私も弓を引き続ける。

 

今日の源:松浦理英子笙野頼子著『おカルトお毒味定食』(河出文庫、1997)、解説より。

善きフィクションと人生

メモ。「小説を書く過程は、私より先に生きた彼らから、人生を学ぶ時間でもあった」(イ・グミ)。

また、一冊の私(たち)にとって大変重要な本が刊行された。

著者のイ・グミは、「複雑で多面的な存在」である人間を「日帝強占期という歴史的枠組みに閉じ込めて、二分法に書きたくなかった」と述べている。完全な善人も悪人もいない。思えばこの圧倒的な事実の前で、私はいつもフィクションに魅了されながら人生を学んできた。人生の謎に、フィクションによって近づくという経験を何度もしてきた。時々、自分の人生の丸ごとが、善きフィクションとは何なのか探究するためにあると感じる。幸い、「教材」は豊富だ。たとえば、イ・グミが構想に10年を費やしたというこの小説。そのタイトルに、まずはぎゅうっと胸が掴まれる。なんとなく、ノーマ・フィールド『へんな子じゃないもん』を読んだときのことを思い出す。

この本の中でノーマは自分自身が「子どものころは市民権というものを、ある場所にずっといてもいいという許可のように理解していたらしい」と書いている。ノーマは「家から引き離されはしないかと、びくびくしていた」という。アメリカ人の父親と日本人の母親の間に生まれ、この本が翻訳された頃にはすでにシカゴ大学で教鞭をとり、かの『天皇の逝く国で』の著者としてもよく知られていたかのじょは淡々と綴っている。

「いまのわたしには、階級を生きることの大きな部分が、自分はそこにいる権利がある、いや、そこにいるのが自然であると感じる場所と、大きくかかわっていることが見えてきた。なぜなら権利だけでなくそこで生きる手段をもっていてさえ、帰属感がないと自分が侵入者であるかのように感じてしまうからだ。そしてそれが、アイデンティティの大きな決め手となる。だから階級アイデンティティへの脅威が国民的アイデンティティへの脅威のように感じられ、逆もまたそうであるのも、ふしぎではない」。

自分がどこへなら行ってもいいのか、どこにとどまっていいのか。なぜ、ただ生きているだけのつもりなのに、未だに、ふとした拍子に、自分を「侵入者」だとか「闖入者」のように感じてしまうのだろう? いや、私もまた、他の誰かをそのように感じさせていることがある。私の「階級」ならばきっと……性別を、階級を、国家を、人種を、海をこえてでも自らの運命を切り拓こうとする少女たちの「そこに私が行ってもいいですか?」という問いにすでにみなぎる、その切実さに、「善きフィクション」を試みるためにもがく作家の誠実さをひしひしと感じる。それに、この本が日本語に翻訳されて、アジアの近現代史の一部の中で生かされている自分(たち)のもとに届くことの意味も大事にしたい。

今日の源:

イ・グミ著、神谷丹路訳『そこに私が行ってもいいですか?』(里山社、2022)

ノーマ・フィールド著、大島かおり訳『へんな子じゃないもん』(みすず書房、2006)

「存在しない国」が、根っこにある私たちの物語を…

メモ。「台湾にルーツがあるからと言って、その誰もが台湾の歴史や自らの法的地位を説明できるわけではない。むしろ詳しく知らない方が自然である。日本にいると日本のニュースは意識せずとも入ってくる。しかし台湾に関しては、親や親戚から話を聞いたり、自分で調べて情報を得るしかない。(…)日本という地で台湾について知り語ろうとすると、〈台湾〉にルーツをもっていればなおのこと、自ずと台湾の政治性を帯びてしまい、他者による〈台湾認識〉との擦り合わせも求められるようになった」(岡野翔太[葉翔太])

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 みずき書林から刊行されたばかりの大著『帝国のはざまを生きる 交錯する国境、人の移動、アイデンティティ』。700頁を越える、まさに大著! うつくしい装幀の表紙や帯を踊る言葉を「読み」ながら、すでにもう心揺さぶられている。いや、厳密には、常に二つ以上の何かと何かの間でたえまなく揺れている自分自身の在りようを、まざまざと思い出させられる。

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安部公房と「日本」 植民地/占領経験とナショナリズム』(和泉書院、2016)。「無国籍的・国際的」という安部公房の作家神話を問い直す著者の試みに多くを学んだ。

坂堅太さんや野入直美さんをはじめ、興味深い論考が並ぶ第Ⅲ部「引き揚げの表象ーー植民地を故郷とするということ」など、心して読みたい論文ばかりが束ねられたこの分厚い本に胸を高鳴らせつつ、私が真っ先にページをめくってしまったのは第Ⅰ部「移動の経験は世代や境界をいかに〈越える〉のか」の第2章、岡野(葉)さんによる「『存在しない国』と日本のはざまを生きる 台湾出身ニューカマー第二世代の事例から」だ。

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 「存在しない国」。20歳の秋、中国・西安でパスポートを現地の人に見せたら「こんな国ないよ!」と流ちょうな日本語で言われた記憶が甦る。私が中国人である彼女に差し出した自分のパスポートの表紙には「中華民国」と記されていた。コンナクニナイヨ、というあの日本語を、私は今もときどき頭の中で響かせてみることがある。私が自分の生まれた台湾でそのまま育った台湾人であったなら、おそらく聞くことがなかったはずの日本語。あの日本語を聞いたという経験は間違いなく私の作家としてのかけがえのない財産なのだ。

 岡野(葉)さんのこの論考によれば「1979年に中華民国が自国民の海外渡航の自由化を認めたことで、台湾出身者の日本在留数が増加する。1974年に二万四〇八〇人であった台湾出身者の数は1984年には三万二八一七人まで上昇した」。

 4歳だった私も、この「三万二八一七人」のうちに含まれている。
 1990年生まれの岡野(葉)さんが、ご自身と同世代の、つまり1990年代以降生まれの「台湾出身ニューカマー第二世代の事例」をめぐって調査・研究したこの論考は、彼らより十歳以上年長である私にも、肌身に迫ってくる。

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日本で育った台湾人にとっての中国語って、ほんとう、なんだろうね。ややこしいったらないよ。まあそれが面白いんだけどね。そう思うまで私、何年かかったのやらね。

 肌身に迫るどころか、だんだん、泣けてきて、そして思ったのだ。岡野(葉)さんによるこうした「台湾出身ニューカマー第二世代」をめぐる調査研究や他の論文を、17歳や20歳や23歳頃の自分に読ませてやりたい。「台湾人って結局、中国人とは違うの?」「母国語を学ぶのになぜ大陸なんかに行くんだ?」「台湾出身? なら僕らの同胞だね」。一体、私はなんなんだ? あなたをしょっちゅう襲うその不可思議な「疑問」は、歴史の中で、あるいは社会的な文脈で、こんなふうに紐解ける、解きほぐせる、と伝えてやりたい。しかし当時の岡野(葉)さんはまだたったの7歳で10歳で13歳で、いつかの自分が台湾という「存在しない国」が根っこにある自分自身を軸に、私たちのような元・子どもたちの「実存」にとっての道標としてはもちろん、「帝国のヴェール」に覆われた見えぬ障壁を意識しながら東アジアの終わらない植民地主義を脱却するべく奔走する人たちにとっても、こんなふうに有意義な研究に邁進するようになるとは思ってもいなかったはずだ。今後、岡野(葉)さんの研究の積み重ねが、台湾を根っこに持つ、持たされているさらに若い世代にとって、自分を愛おしむ力を掴むための契機となるように願ってやまない。
 ……と、岡野(葉)さんにお伝えしたところ、あの文章の「おわりに」で私の文章を引用したと知らされる。光栄。「存在しない国」と日本のあいだで、私もまだまだ考え続ける。

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