✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

自分自身を説明すること

メモ①「『私』が自分を説明しようとするとき、自分自身から出発することはできる。しかしその『私』は、自分がすでに、自分自身の語りの能力を超えた社会的時間性に関与していることを見出しもするだろう。実際、『私』が自分に説明を、自分自身の出現の条件を含んでいるはずの説明を与えようとするとき、『私』は必然的に社会理論家にならざるをえないのである」(ジュディス・バトラー

メモ②「私は規範を通じて自分自身を認識可能なものにしようとするが、そのような規範は、完全には私のものではない。これらの規範は私と共に生まれたものではなく、その時間性は私自身の生の時間性とは一致しない。したがって、私の生を認識可能な生として生きることで、私は複数の時間性のベクトルを生きている」(ジュディス・バトラー

メモ③、④、⑤・・・

私は、私だけでは、私にもなれない。私は、私でない人たちとの関係を通してのみ、「私」自身の物語の輪郭を見出すことができる。

今日の源:ジュディス・バトラー著、佐藤嘉幸+清水知子訳『自分自身を説明すること 倫理的暴力の批判』(月曜社、2008)