✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

もう一つの私の言葉で詩を書いてみたくなる/我將來想用我的另一种母语来表达我的日常事件或個人回憶

 昔から私は「詩人」を畏怖していて、というのも、散文にまみれながら生きている自分には、「詩」と呼ばれるのに耐え得る確かな強度を備えた文を、おいそれと書けるはずはないと常に恐れているからだ。

 ところが、ジュンパ・ラヒリがイタリア語で書いた三冊目の本『思い出すこと』を読んでいたら、突然、詩が書きたくなってきた。それも、外国語で。ひとまずは、中国語で。いや、違う。中国語が、私にとって正真正銘の外国語であるはずがない。では、それは私の母国語? 巧みに操ることのできない言語を、母国語とか母語と呼んでもいいのなら、そうかもしれない。この戸惑いをひっくるめて、生まれたときからずっと中国語しか話してこなかった人には「想像できない」語彙や用法の誤りが随所に散らばっていてもいいのなら(そんな自分の中国語力をあけっぴろげにする勇気が湧いたら)、私は詩を書いてみたい。台湾語でもいいのかな。日本語以外の言語で創作してみたい。生まれて初めて兆したこの欲望を、忘れないように記しておこう。我將來想用我的另一种母语来表达我的日常事件或個人回憶🌱

フラヌール書店で、大好きな作家の新刊を買えて幸せだった。ブックカバーが素敵。

 今日の源:ジュンパ・ラヒリ著、中嶋浩郎訳『思い出すこと』(新潮クレストブック、2023)