✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

光の粒

メモ。「あなたが心の中に見ている世界は必ずしも美しいものでなくてもよいのです。それがあなた自身のものであること、あなた自身が見出したもの、あなた自身の角度で見られたものが必要なのです」(ジョーン・エイキン)

米国からクリスマスカードが届く。封を切って、一目でこの絵を好きだと思った。送り主とは、「友人」になってまだ歴史が浅い。でも少なくとも私は確信している。もしも私たちが同じ学校に通うティーンだったとしても、私たちは親しくなったはずだ。きっかけも、想像できる。休み時間、私か彼女が気づく。教室の片隅で、見覚えのある表紙の本を彼女か私が読んでいる。勇気を出すのは、本を読んでいるのを見かけた方だろう。「この本、私も持ってる」。話しかけられた方は、そのことに嬉しくなる。そして、その時から、私たちの終わらないおしゃべりは始まる……過去に遡って、そんな記憶を「捏造」したくなるような、そういう出会いが、人生には時々訪れる。だからこそ、実際の学生時代に一度もそんなことがなかったとしても、焦ることはない。自分の好きなものが何なのかちゃんと知っている人は、自分と同じぐらい自分が好きなものを好きな人との出会いに必ず恵まれる。幾つになってもチャンスはある。私と彼女の好きなもの? 小説だ。私の好きな小説を、彼女も大好きなのだ。幸いなことに、彼女は私の小説も好きだという。「このカードを見たときに、あなただと直感しました。暗闇の中で光を灯している姿。ふだん、気づかなければ/見なければ/知ろうとしなければ、見えなかったかもしれない人たちに、そっと光をあてる。あなたは、そんな物語を書くから。でも、よくよく見ると、真っ暗ではなく、星が散らばっている。元々そこにあったものが、光をあてられて、輝き始める・・・」
光。すでにそこにあった星たち。彼女の筆跡を辿りながら私は、彼女が私のために選んだというカードの絵柄を、一目で好きだと感じた自分を誇らしく思う。そして彼女の言葉のおかげで、自分の小説がまた少し愛おしくなる。自分もなかなかやるね、と少し自惚れる。良い兆候。何しろ、私はしょっちゅう嘆いている。自分が書くものは、私が愛読してきた小説にはまだまだ及びもつかないレベルだ。でも、それでいい。それが正しい。私や、私の友人が愛読する小説は、それほど素晴らしい。素晴らしいから、心掴まれる。素晴らしいから、少しでもそこに近づきたいと背筋が伸びる。さあ。しっかり休んだらまた、私は私にでき得る最高のものを目指して、ぼちぼちやりましょう。

Happy holidays,my dear friends!

 

今日の源:ジョーン・エイキン著、稲熊葉子訳『子どもの本の書き方』(晶文社セレクション、1986)