✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

李良枝と中上健次を読み続けていたら……

メモ。「わたしたちの日常世界は、明示的にルール化された規則だけではなく、空気のように不可視化された規範に拘束され、見えない境界線に分断されてもいる。文学の言葉は、この目に見えにくい規範や境界を可視化し、同時に、それらに転覆や逸脱、攪乱を及ぼすことで、〈現実〉を動揺させ異化することもする。言わば、目に見えない〈現実〉をも可視化し、〈現実〉をまだ見ぬ世界へ書き換えようとする」(渡邊英理)

小説(あるいは文学)、と、とりあえずは呼ばれている文章が綴られた本なら、今もひっきりなしに、出版、刊行されているが、私はあいかわらず特定の、極めて限られた数名の作家による何冊かの本を、繰り返しくり返し順々に読んでばかり。たとえば、李良枝。そして、中上健次。おそらく私にとって、「小説」及び「文学」の定義は、非常に狭い。モノとしての「言語」の他者性や外部性に対する李良枝並みの感受性。モノである言語から成る「別世界」を構築してやるという中上健次級の覚悟。これぐらいでなければ、それを「小説」や「文学」とは感じられない。困った。自分でも小説を書いているのに。愛読してきた本を捲るたび、自分はまだ一度も、自分が思うような「小説」を書けていないじゃないか、とのたうち回る。のたうち回ることを楽しんでいる。次こそ、次こそは私にも書けますようにと祈りながら。

今日の源:渡邊英理著『中上健次論』(インスクリプト、2022)、温又柔編・解説『李良枝セレクション』(白水社、2022)