✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

いま、一人でも多くのひとが、寒くありませんように。

メモ。「物心ついてからずっと、ただいなくなってしまいたいと思っていた。子どものときはずっと、いつかきっと逃げ出せるようにと、ただ大人になるのを待ちわびていた。ドイツの学校から、『集合舎宅』から、両親から、わたしの血肉となり、わたしを捕えて放さない間違いのようなものすべてから逃れたかった。たとえ両親や身内がどんな人たちだったか知ることができたとしても、知りたいとは思わなかっただろう。興味がなかったし、そんなものはどうでもよかった。わたしとは関係のないことだった。とにかく逃げたかった、それも大急ぎで、何もかも永遠に捨てて、世界のどこかでわたしを待っている自分だけの本当の人生へと、自分を引っさらっていきたかった」(ナターシャ・ヴォーディン)

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シャン・フランソワ・ビレテールの『北京での出会い もうひとりのオーレリア』を読み始めたばかりなのに、わたしを強烈に魅了する本とまた出会ってしまう。ナターシャ・ヴォーディンの『彼女はマリウポリからやってきた』。

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"失われた家族の歴史と、みずからのルーツ"。この類の謳い文句には、期待と警戒をいつも同時に抱く。そこで、やや緊張しながら、ナターシャ・ヴォーディンという作家に関する知識が皆無なまま、試しにこの本を捲った。すぐに心地よい震えとともに確信した。自分は、絶対に、この本を、必要としている。最初の数頁でもう私は、まだ何も知らないに等しいこの著者に対して、厳かな敬意を抱かずにはいられなくなったのだ。

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川東雅樹さんの訳者あとがきにある表現を拝借すれば、「いわゆる自伝とはいえず、もちろん純然たる虚構としての小説であるはずもなく、集めた資料や手記、聞き書きをもとにし」つつも、「事実の重みに依拠しているわけではない」「既成のジャンルの枠内におさめるのが難しい」この本と、わたしはしばらくの間、じっくり向き合うことになるだろう。読了したとき、世界とわたしの関係はどれぐらい変容している? 怖くもあるし楽しみでもある。私たちが望めば戦争が終わる、どころか、私たちのほとんどが望んでなかったはずなのに戦争が始まってしまった2022年。戦争は、まだ続いている。そこかしこで。砲撃と空爆で廃墟と化した街の名を含む本のタイトルを見つめながら、胸が張り裂けそうになる。どうか寒くありませんように。「世界のどこかでわたしを待っている自分だけの本当の人生」を希求する一人でも多くの人が、せめて今、温かい眠りについてますように。

 

今日の源:ナターシャ・ヴォーディン著、川東雅樹訳『彼女はマリウポリからやってきた』(白水社、2023)