✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

省略できない。平岡直子さんの『永遠年軽』評を読んで。

メモ。「作品において「普通」の前提は省略できるけれど、「普通じゃない」前提は省略できず、しかし、省略できないからといってそこに本題があるとは限らない。〈ミックスルーツ〉を特殊事情として括り出す読み方は、「普通/特別」の対比構造を温存することで、実際これらの小説で試みられていることはその真逆だといえる。同じ説明をしつづけることを厭わない作風にあらわれているのはなによりもねばり強さだと思う」(平岡直子)

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発売中『群像12月号』。BOOK REVIEW で、歌人の平岡直子さんによる『永遠年軽』評の一節。そうなのだ。私に、「省略」の選択肢はない。だからこそ、「省略しない」ための選択肢を常に模索しながら、一篇、また一篇と小説を書き重ねてきた。そのことを、明晰に言語化してくださるすばらしい書評に、書くという行為に没頭する勇気が湧き、表層的な理解に呑み込まれず読まれたいと祈るときの孤独がやわらぐ。平岡さんの『永遠年軽』評はこんなふうに結ばれる。

「言葉のなかの知らない音を響かせること。意味として伝わらなくても、言葉のなかにはつねに知らない音が入っているのだと人に聞かせること。その不安を思い出させること。未知の音のなかに、わたしは、未来はあかるいのだ、という奇妙な確信を吸い込んだ」。

未来はあかるい。この本の著者であることをわすれて、透きとおったやわらかななにかが、わたしの中をとおり過ぎる。「これが、文学だと思う」。わたしが文学だと信じるもののために小説を書き続けられるのは、作品を発表するごとに、このような読み手に確実に恵まれてきたからなのだろう。これからも「省略」しない。わたしはそれが面白い。