✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

練習する権利

メモ。「『帝国のヴェール』という言葉の背後にある一つの重要な認識は、私たちは、いまだに『帝国』と呼ぶほかない国家と資本によるシステム、つまりは、国境を越えた(目には見えにくい)搾取と収奪のシステムのなかにいるのではないかということである。読者のなかには、『帝国』とは過去の遺物であり、人類は帝国主義植民地主義をすでに乗り越えたと思い込んでいる人がいるかもしれない。しかし、グローバルな水準でも『中核(中心)』が『周辺』を搾取する世界システムや、その下での国家間のヘゲモニー争いは残っており、『中核』を構成する先進国の内部でも、富の偏在と貧困を生み出す経済システムや社会構造は無くならない。人々を分断し、支配し、搾取する『帝国』は決して終焉していないのである」(荒木和華子、福本圭介)。

先日、刊行された『暗闇に戯れて 白さと文学的想像力』を翻訳した都甲幸治さんによる訳者解説は、目を見張るほどわかりやすくて、トニ・モリスンを読む上で大変な助けになって、本当にありがたいとしみじみ。

この都甲さんの解説を読んで、『帝国のヴェール 人種・ジェンダーポストコロニアルから解く世界』の「序文」として書かれた貴堂嘉之さんの「人種資本主義序説 BLM運動が投げかけた世界史的な問い」を再読したくなっていたところ、その貴堂嘉之さん監修の『大学生がレイシズムに向き合って考えてみた 差別の「いま」を読み解くための入門書』が『帝国のヴェール』と同じ明石書店から刊行されたという。

一橋大学社会学部の貴堂ゼミの学部生と院生さんたちと作り上げたものらしい。大学を離れてからもずっと、社会とわたしをつなぐQ&Aばかり繰り返さずにいられない私が、まさに大学生の頃に、いやひょっとしたら高校生の頃だって早くはない。こういう対話や議論の場を私もたくさん持ち得ていたらきっと私は、自分はマジョリティであると信じて疑ったことのない人から「こんな日本でほんとごめんなさい、でもこんな日本にだってほら、あなたの味方になってあげられる(私みたいな)日本人もいるからどうか許してね、ね、ね」と言われた時も、マイノリティであることを何かと強調したがる人から「こんな日本ってほんと酷いよね、(日本人でない)あなたなら、わたしの痛みを100%わかってくれるよね、ね、ね」と言われた時も、あなたたちの気持ちはそれぞれよくわかるけれどだからって私に頼らずどうか自分で自分を支えて、と言い返す練習をもっと早く重ねられたはず。少なくとも、今ほど遠回りせずに済んだはず。だからこそ、今、十代や二十代の方々には、そういう場がたくさんあるように。学校が、特に大学や大学院が、そこにいる誰にとっても、隣り合う人々とありとあらゆる軌道修正しながら、とりあえずは最良の選択をするための「練習」が安心してできる場所でありますように。でなければ、学校に行く意味はないよね、極端な話。学生には「練習」する権利があるのだ。