✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

どうせ、私は……

メモ。「作家はまず第一に読者である。自著の出来映えを判断する基準を、私は読書から学んだ。それにそって評価すると、自分は嘆かわしいほどに不出来だと思う」(スーザン・ソンタグ)。

9月に『李良枝セレクション』が刊行されたあと、10月には「ぼくと母の国々」を収録した『鉄道小説』、「平成」が終わる日が迫るのを感じて書かずにいられなかった「誇り」や、入管法改正をめぐるニュースにいてもたってもいられなかった頃に書いた「おりこうさん」を含む短篇集『永遠年軽』が、11月になってからは、絵描きであるきたしまたくやさんとの共著『日本語に住みついて』も完成し、この秋から冬にかけては、ここ数年の間に取り組んできたことが続々と「本」になってゆく。ついに先日、新潮社から刷り上がったばかりの『祝宴』が届いた。画家の松井一平さんが私の小説を読み、描き下ろしてくださった素晴らしい装画による最高の装幀。裏返すと、「我最愛的家人」。日本語としても中国語としても抱きしめていい最高の帯文。帯背にはこれが私の「新たな代表作」とある。

広島大学大学院で「李良枝について語る会」が催される前夜、広島・西条のホテルで。


これ以上、喜ばしいことはないはずが、急に、漠然とした不安と奇妙な憂鬱さに襲われ、冷たい雨が降りしきっていた一昨日は思わず一日中伏せってしまった。天気が回復し、今やっと少し持ち直した。2017年が終わる頃からずっと、瑜瑜という人物についての小説を書きたいと思っていた。無事に書き終えたら「祝宴」と題するつもりで。しかし、瑜瑜と彼女の恋人である由喜の物語を、書けば書くことほど私は、本当に書きたいことと遠ざかってゆく気がして、なかなかうまくゆかなかった。小説を書く難しさにのたうち回ってばかりいたのだ。ところが「魯肉飯のさえずり」を脱稿したその日に、瑜瑜ではなく、瑜瑜の父親の視点でこの物語を組み立てようと閃いた。そしてそれが、私にとっての「祝宴」という作品になった。それがいよいよ、本になったのだ。それも、「祝宴」を書いていた頃に夢中で読んだ『オープンシティ』をはじめ、アリス・マンロージュンパ・ラヒリなど愛読してきた小説を刊行する新潮クレストブックスの版元である新潮社さんで。いや、そのせいでもある。私の今の憂鬱さの正体については、スーザン・ソンタグが書いている通りなのだ。「自分は嘆かわしいほどに不出来だと思う」。何しろ私もまた、ある小説の「出来映えを判断する」とき、自分の書棚に並べた書物を基準にしている。自分が書いた小説だからといって、自分が書いたという理由だけで甘い点はつけられない。とりわけ、これが現時点の私の作家としての精一杯だと思ったら……この程度なのか、と。ソンタグの言葉はこう続く。「書く以前からの、読むことから、私は共同体ーー文学という共同体ーーの一部となった。そこには、現世作家より多くのすでにこの世を去った作家たちがいる」。すでにこの世を去った作家たちも含めれば、もっと途方もないことになる。でも。でも、と思う。「文学という共同体」の、この途方もなさこそが、私を魅了しているのも事実なのだ。私はたぶん、これからも自分が読みたい小説を書こうとする。そのためにどうせまたのたうち回ることになる。私は、書いたら書いてしまえる小説ではなく、自分が読みたい、読んでよかったと思う小説を書きたい。この程度ならいくらでも書ける、という小説を書くのではなく。もちろん、難なく書けるものがそのまま読みたいものなら、こんな楽なことはない。でもそれは一部の天才たちにしかできないことだ。「天才」のふりをして、そう言ってのけるのも世間に対してはありなのかもしれない。彼や彼女が、「売れっ子」の作家なら尚更。しかし私は、「天才」でも「売れっ子」でもなく、もはや自分に正直でいることしか自分に望んでいない。たぶん今の漠然とした不安は、自分がちゃんと自分を貫けるかどうかの緊張からも来ている。いつかの自分を、いまの自分が軽蔑せずにいられるように、私は私の正気を保ち続けていられるのか。だからきっと、この憂鬱さは、私がまだまともである証なのだと信じたい。それに「祝宴」は、これまでの私の作品と比べても今のところ一番よくできている。次の本に対しても、そう思えるように頑張ろう。私にできるのは結局それだけだね。

今日の源:スーザン・ソンタグ著、木幡和枝訳『良心の領界』(NTT出版、2004)