✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

「興味深い時代を生きますように」

 メモ。「見えるのは私を見ているあなたを見る私」(フィオナ・タン)

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 2017年の暮れ、「平成最後の日」が正式に発表されると、私は自分自身が30歳になったときはそれほどでもなかったのに、突然、「30年」という月日の幅を意識するようになった。「30年」で区切りがつけられる「平成」の、その始まりの頃に台湾の祖父が両親よりもはるかに流ちょうな日本語で「昭和の前は大正。大正の前は明治」と教えてくれたことを思い出したのだ。台湾は「昭和20年」まで「日本」だった。それから30年の二倍以上の月日が流れたあと、私はやっと日本語と自分の祖父母の関係に思いを巡らせるようになる。それも、自分にとってほぼ唯一、自在に使いこなせる日本語によって。月日はさらに流れ、「平成」が終われば「昭和」もまた遠ざかってゆくと意識するようになった頃、フィオナ・タンの『エリプシス』(日東書院、2013)をたまたま手にし、〈Linnaeus' Flower Clock(リンネの花時計)〉という作品のテキストに魅了された。そして、「祝宴」と題する予定の小説の冒頭には、その一節を引用しようと心に決めたのだった。

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新潮2022年5月号より

 私は、私の言葉は、私の中の何もないところからいきなり溢れ出てきたのではない。私は、私の言葉は、私が刻一刻と生きているこの日々の中で絶えず耳にし目にし口にもしながら手を動かして文字として書きつける過程で自分のものにしてきたものである。そして、運よく完成させられた小説とは、その過程と結果の一部なのだ。

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「来福の家」は、「マンゴー通り、ときどきさよなら」にあやかって書きたいと思った。

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「真ん中の子どもたち」の冒頭の一文は、「ここのなかの何処かへ」より

 「祝宴」がどうにか活字になって、久々にフィオナ・タン『エリプシス』をぱらぱらと捲っていたら、いまさらながら、この本が2013年8月3日〜11月10日に金沢21世紀美術館で開催された展示のために創られたものなのだと思い知る。

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 金沢21世紀美術館といえばちょうど明日からAKI INOMATAの展示「Acting Shells」が始まるところだ。

www.kanazawa21.jp

  遡って、2015年。東京・新宿のNTTインターコミュニケーション・センター「ICC」で、彼女の《やどかりに「やど」をわたしてみる》を見て以来、私はAKI さんが手がけるアート作品にしょっちゅう魅惑されている。言うまでもなく私の”出世作”としても過言ではない『台湾生まれ 日本語育ち』は、AKIさんが「やど」を提供してくれたからこそ、この上なく素晴らしい装幀になった。

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 金沢21世紀美術館での展示を契機に創作されたフィオナ・タン『エリプシス』に触発されて書いた「祝宴」をどうにか発表するに至ったこの春、『台湾生まれ 日本語育ち』の表紙を歩むやどかりの「やど」を提供してくれたAKI INOMATAの展示が金沢21世紀美術館でまもなく開催されるという、私にとってとてつもなく幸福な偶然に、今、そっと興奮している。興味深いこの時代を生きる同世代の私たちの現在を、私は30年後に懐かしく思い浮かべるのだろうか。いや、そんな先でなくてもいい。10年、8年、3年、1年後の自分も、現時点の私にとって最新の作品である「祝宴」を含む、これまで書いてきたものを支えに、誠実な創作を続けていられますように…