✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

時間が経てば経つほどに、言葉は言葉のままに……

メモ。「書き留められず、記録し、残すことのできない、無数の瞬間の一つとして、今というこの瞬間も過ぎ去ろうとしている。こうして多くの思念、多くの言葉が消え去って行く。

 どこに行き、どう果ててしまうのだろう。

 私におけるさっきまでの今も、一体どこに行ってしまったのだろう。

 この今をこうして確かに体験している私は、どういう意味で、私であるのだろう」(李良枝「石の聲」より) 

 ふらりと立ち寄ってみた某書店さんで、『李良枝セレクション』が「海外文学」の棚で”面陳”になっていた。それだけでも喜ばしいのに、隣には、ファン・ジョンウンの『年年歳歳』が。「小説に可能な方法で一つの人生を私は生きてきて、そのことに驚嘆しつつも、怖かった」。30年前に世を去った日本生まれの韓国人である李良枝が日本語で書き遺した作品と、現代の韓国で書き、読まれ、生きているファン・ジョンウンの言葉が、私には、そう遠くなく感じる。傍にはルシアン・ベルリン『すべての月、すべての年』があるというその光景にも、胸が詰まる。

 かのじょたちの肉体が、この世からいなくなったあとも、かのじょたちの魂が刻まれた言葉は永遠に、その言葉を切実に必要とする読み手に届くのを待って、舞っている?

と、少々、感傷的になった。

嬉しさのあまり、こっそりパチリ📸 (良い子は真似しないでください)

 すべての月、すべての年。年年歳歳。私たちが、受け継ぎ損ねてきたもの。私やあなたが、今、受け継ぐべきものを意識する……🦋

今日の源:『李良枝セレクション』(白水社、2022)、ファン・ジョンウン著、斎藤真理子訳『年年歳歳』(河出書房新社、2022)