基本的なおさらいとしてのメモ。「日本統治期台湾における文学の最大の問題とは、言語的アイデンティティであったと言えよう。母語としての台湾語、『祖国』中国の近代的白話文、『宗主国』日本の日本語をどのように選択し駆使するかということは、作家として自身の立ち位置を示すことになった」(謝惠貞)
1920年代から30年代の台湾人作家たちは、横光利一をはじめとした日本新感覚派の作家たちを、いかに受容し、評価を加えながら変容させて、みずからの文学のための刺激としてきたのか……刊行されたばかりの『横光利一と台湾 東アジアにおける新感覚派(モダニズム)の誕生』(ひつじ書房)がとても面白そうで、心躍らせている。横光利一をまともに読んでこなかったことがもったいなくなる気分。
本書の著者である謝惠貞(しゃ・けいてい)さんとは、2009年の秋に出会った。当時東京大学の藤井省三さんのゼミに在籍していた謝さんが、会いたいです、と出版社経由に連絡をくれたのがきっかけだ。「私は文学研究を志すために留学中の台湾人です。あなたの作品がとても面白かったです」と謝さんが言ってくれるのが嬉しかった。それからまもなく謝さんは台湾の某老舗文芸誌(「聯合文學」)の編集部に「温又柔をインタビューしたい」と持ちかけ、のちに繁体字中国語版「来福の家」の訳者となる郭凡嘉さんとともに、あっという間に実現に至らせた。
それまでの人生において台湾出身者として日本社会の中でどんなことを思いながら生きてきたのか、とか、これからはどんな小説を書くつもりなのか、などといったことをあれこれ尋ねながら、私のそれぞれの返答を丁寧に掘り下げて郭さんとともに見事な記事を完成させた謝さん。おかげで、デビューしたばかりの、ほぼ無名の作家だったにも関わらず、「ロングインタビュー」と言っても差し支えのない私の記事が大々的に載ったのだ。それも、自分にとってもう一つの「母国」である台湾の文芸誌「聯合文學」に。
自分たちの娘が何やら日本語で小説を書いたらしいのだが、日本語ネイティブではないためにその内容が詳細には理解できずにいた私の両親は、謝さんたちが手がけてくれた中国語によるインタビュー記事を読み、娘が「夢」を叶えたことを実感したという。
その後もずっと謝さんは、日本の作家としてヨタヨタと危なっかしく歩き始めた私を、「友人」として、そして一人の「文学研究者」として、常に注目してくれた。台湾と浅からぬ縁を持ち、日本語で創作をする私の「感覚」が、一体どんな小説を作り出すのか、ただ、ただ、期待してくれていたのだと思う。私にとって3冊めの小説である『空港時光』が翻訳されると、謝さんは、私を高雄に招いて誠品書店での刊行記念イベントを企画してくれた。私たちが知り合って10年めとなる2019年秋のことである。
この十年以上の月日の中で、謝さんは東京大学大学院人文社会系研究科の博士課程を修了し、台湾で日本語学科の准教授となった。『横光利一と台湾 東アジアにおける新感覚派の誕生』は、そんな待望の、謝さんの初めての単著である。それでつい、「好去好来歌」が雑誌に載った年の秋、「台湾出身のあなたが日本の文学賞を受賞したことを心の底から嬉しく思っています」と祝ってくれた謝さんと知り合った頃に味わったさまざまな喜びを次々と思い出してしまった。
謝さんのこれまでの研究成果である生まれたてのこの本が、日本ではもちろん、台湾や中国、東アジアの文学研究を一層活性化させますように!私も早速、自分がまったく知らなかった横光利一の「面白さ」や、その「面白さ」が、複数の言語で執筆せざるを得なかった台湾の作家たちの「感覚」に与えた影響とはどんなものだろうか? と思いを巡らすことを楽しんでいます!