✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

歩くこと、線を問うこと、迷うこと、〈私〉を解き放つこと……

メモ。「記述。それは運動によって創造のための空白を開き、そこに入りこむこと。入りこみ、しかしその空白をただ占拠する/充満させるのではなく、空白にさらに多くの存在たちを招き入れること。自分がそこを開き、そこに率先して入りこむことで、空白はかえって大きく育つことができる」(管啓次郎

 経験上、私はよく知っている。風変わりな素材と”瑞々しい”感受性に凭れかかった状態では、ろくな小説は書けない。いや、書き続けられない。頭を冴えざえと働かせながら、と同時に、心の魂なる部分にも十分に触れながら、ものを書く姿勢を保つには……管啓次郎の「批評文集」を読んでいると、書くという”営為”に対する私自身の理想が剥き出しになってゆく。自分がどんな小説家でありたいのか、まざまざと思い出させられる。冒頭に引用した文章はこんなふうに続く。「なぜ、そんなことが可能なのか? それはそこで時間が延長されるからだ。記述の空間において、人は一瞬のうちにいくつもの長い時を凝縮されたかたちで見わたすことができるばかりではなく、そこでは一瞬が計測不可能な時間からはみだして、ゆっくりと強烈に体験される」。

 管啓次郎の著作集の中でも個人的に最も熱烈に読んだ『トロピカル・ゴシップ』(青土社1989)、『コヨーテ読書』(青土社2003)、そして『オムニフォン〈世界の響き〉の詩学』(岩波書店2005)の3冊。そこから選ばれたいくつかの「文をめぐって文化をめぐって世界をめぐって生死をめぐって考えてきた」文章と、レベッカ・ソルニット論などを加えて「再編」した最新の「批評文集」。

歩くこと、線を問うこと、迷うこと、〈私〉を解き放つこと……思索すること

 一年のうちでも昼が最も長く、夜が最も短い日に上梓されたこの本をめくりながら、混じりっけ無しの「読書」する興奮に浸っている。