✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

空白のパスポート

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 メモ。「トランジット・エリアに到着した乗客は地理上はある国に属しているが、法律上はどこにも所属しない。地上にありながらどこからも認知されていない。彼のパスポートにはくっきりと出国のスタンプは押されているが、入国のスタンプはない。一体彼はどこにいるのか。パスポートと国境という近代の領土化の制度が整備された結果生まれた〈空白の場〉にいるのだ。そこは空間的には完全に仕切りがつけられ、国際法上一種の島のようになっている。現地時間はあまり意味がなく、人々はしいてそれに時計を合わせたりはせず、いろいろな経度の時刻を肉体的に持ち歩いている。一人一人が別々の昼と夜を抱えて数時間を過ごす」(細川周平

 ヴェンダースタルコフスキーカルヴィーノ、カネッティ……さまざまな芸術家たちが「フィルムや紙の上に定着させためくるめく移動の瞬間と、自らの旅とを重ね合わせて、旅の〈概念〉を根底から書き換える、疾走感あふれるエッセイ集」の著者が「旅先のことよりも乗物や空港を語ることになってしまったが、鉄道と飛行機に乗っていることがたまらなく好きで、良き乗客であることが良き旅人の前提だと思っているのだ」と爽やかに綴るこの本が私は大好きだ。私たちの生活にはもっと〈空白〉が必要なのだと教えてくれる。そのためには、ほんとうの旅がうってつけだと示す文体は、読んでいるこちらの心の中に風を吹かせるだけでなく、光も射し込む。まんまと空港や飛行機が恋しくなる。今はそれどころじゃないと分かってはいても。

 考えてみれば、2020年の3月に更新した私のパスポートは一度もつかわれずどのページも「空白」のままだ。

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 最後に飛行機に乗ったのは2020年1月12日。その前日が、第15期中華民国総統選挙投開票日である。あの日、東京に戻る私を台北松山空港国際便出発ターミナルまで見送ったあと、父は台湾桃園国際空港でいつも通り上海に出発した。その後、COVID-19が猛威を振るうようになり、父が台湾にも日本にも帰ってこない日々は続く。妹の子どもたちはこの2年の間に、それぞれ5歳から7歳、1歳から3歳になった。「アゴンに会いたいね〜」と姪っ子が言ったとき、この子が祖父に会いたがる気持ちのたぶん百倍!ぐらいは父のほうも、この子やこの子の弟と会いたいと思っているんだろうなと思った。さらにいえば、台湾にいる96歳になる母親ーーむろん、私の祖母であるーーにも会いたいはずだ。とはいえ父はいつも朗らかだ。パパは楽しくやっている心配しないで、みんなも元気なら嬉しいよ、と電話の声は必ず明るい。こんなふうに私たち家族は東京、上海、台北でそれぞれ元気にやっているからまだいい。育児や介護、お互いを切実に必要とし合っているのに各政府の「外国人入国制限」に阻まれて出入国が叶わない人たちが今も大勢いる。

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 複数の国々に家族や親族を持つひとたちや、国境を跨って勉強をしている真っ只中のひとたち。誰もが必要な時に行きたいところに行けて、なんの心配もなく自分の家に帰ってこられるような状況に早くまた。そして、長い間、会えずにいる家族を恋しく思うひとたち同士がそれぞれ「別々の昼と夜を抱え」ながら次に会える瞬間まで可能な限りほがらかな気持ちでいられますように。

今日の源:細川周平著『ノスタルジー大通り ほがらかな旅の技術』(晶文社、1989)