✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

「あるがまま」という領域から始まる思索

メモ。「僕が形作るのは、個々の性格ではなく、それよりも人間間の不思議な力学の場、そして状況、雰囲気によって、その場で何が起こるのかだ」(ヨン・フォッセ)

白水社から刊行されたばかりのヨン・フォッセの戯曲。初の邦訳。普段、戯曲をほとんど読まない——読み方を知らない、という意味で「読まない」ではなく「読めない」とした方がいいのかもしれないのだけれど——のに、表題作「だれか、来る」の最初の台詞から妙に心が惹きつけられる・・・

「彼女 (陽気に)もうすぐ私たちの家に入れる

彼 おれたちの家

彼女 古いすてきな家/他の家から遠く離れて/そして他の人たちからも」

先に、解説を読んでしまう。そして、この「詳細な訳者解説」がこの上なく素晴らしい。訳者の河合純枝さんはベルリン在住でヨン・フォッセとは二十年以上の親交を重ねてきたらしい。その事実を知らずに読んだとしても、この訳者解説には訳者が著者の「最良の理解者」であることがはっきりと滲む。日本語に翻訳された海外文学を読むときの醍醐味の一つが、その作品を翻訳した方による解説を一緒に味わうことなら、この本はそれが存分に味わえる。もちろん「原文」がなければ「訳文」も存在しないのだし、「本篇」がなければ「解説」も存在できないのだから、ヨン・フォッセってすごいんだなあ、と当たり前の嘆息を快く漏らす。

イェリネクや、クッツェー。もちろん、ベケット。そして、トカルチュク。私は未読ながらきっとアヴドゥルラザク・グルナも。このうちのどれか一つでも偏愛していたら、きっと、ヨン・フォッセは必読なのに違いない。この本があれば、寒くて、夜の長い今の時期に早々と毛布にくるまって愛読するのにうってつけの読書ができそうで、心が静かに弾む。

今日の源:ヨン・フォッセ著、河合純枝訳『だれか、来る』(白水社、2024)