✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

私のものではない私の言葉を十分に生ききるには……

メモ。「今日、自分のものではない言語圏に暮らす人々がどれほどたくさんいることか。あるいはもはや自国語を知らず、いまだ知らず、みずからが使用することを強いられたメジャー言語をよく知らない人々もいるのではないか。移民たちと、とりわけその子どもたちの問題である。それこそマイナー文学の問題であるが、実は私たちみんなの問題でもある。自分自身の言語から、いかにマイナー文学をもぎとり、それが言葉を穿ち、簡素な革命的方向に言葉を迷走させるようにもっていくか。いかにして遊牧民になり、自分自身の言語にとってジプシーになるか。カフカは言うのだ。揺りかごから子どもを盗むこと、綱渡りをすること」(ドゥルーズガタリ

 ”自分自身の言語にとってジプシーになる”って、どういうことなのだろう? こういうことなのか? 大学院生の頃、この本を懸命に拾い読みしながら李良枝についてずっと考えていた。自分自身についても考えていた。言語がほんとうに揺りかごのようなものなのだとしたら、私たちは盗まれた子どもなのだろうか? 盗まれながらも愛された子どもは、どうやってその親に呑み込まれずに自分自身の言語を取り戻し、場合によっては親にも刃向かうようになるのだろうか?

今日の源:ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ著、宇野邦一訳『カフカ マイナー文学のために〈新訳〉』(法政大学出版、2017)