✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

私には、彼を選ばないという選択肢さえなかった

メモ。「世界規模で踏み込んで来る人々のわたしたちを動揺させる圧力・圧迫にいかに対処すべきか(…)その圧力によってわたしたちは、自分たちの文化・言語に狂信的にしがみつくいっぽうで、他の文化・言語は退ける。時代の流行に沿ってわたしたちを鼻持ちならぬ悪の存在にする圧力。法的規制を設けさせ、追放し、強制的に順応させ、粛清し、亡霊やファンタジーでしかないものに忠誠を誓わせる圧力。なによりもこれらの圧力は、わたしたち自身のなかの〈よそ者(外国人)〉を否定し、あくまでも人類の共通性に抵抗させるようにわたしたちを仕向ける」(トニ・モリスン)

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1983年から東京在住だが、都知事、という言葉にはネガティブなイメージしか抱いたことがない。大学に進学し、ものをまともに考えはじめた20歳の頃、陸上自衛隊練馬駐屯地で開かれた式典で、三国人や外国人が凶悪な犯罪を繰り返してる、と都知事は言った。彼は、次の選挙でも、次の次の選挙でも、落選することなく、都知事として東京に「君臨」し続けた。彼が再選するのをまのあたりにするたび、顔のわからない、不特定多数の東京都民かつ日本人たちの「選択」に「三国人」の末裔である私は地団駄を踏むしかなかった。特に、東日本大震災直後である2011年4月10日に実施された東京都知事選の際は、死ぬかと思った。比喩でなく。頭痛と、過呼吸のせいで。

ついに、死んだのか。

今日の源:トニ・モリスン著、荒このみ著、森本あんり解説『「他者」の起源 ノーベル賞作家のハーバード連続講演録』(集英社、2019)

念のため追記。

ここに記した私のことばは私のものであって、それ以上でも以下でもありません。日本や日本人の「悪口」をただ言いたいだけなら、よそをあたって。経験上、予想はつく。いまの私に安易な共感は刃だ。