✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

「存在を規定する記憶」がなくなれば、私やあなたも…

メモ。「いっそ、何も知らないまま旅を続けた方がいいのかもしれないと私の同行者がだしぬけに言った。記憶が消える前の過去は本当に我々に属していたのだろうか? 我々が知りえないそれ、過去もしくは転倒した未来と呼ばれるそれは、おそらく最初からただの一度も起きたことがなかったかもしれないと、彼は言った」(ぺ・スア)

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『遠きにありて、ウルは遅れるだろう』。帯に「韓国文学史で前例なき異端の作家」とあるぺ・スア。ごく軽い気持ちで最初の一ページを読みはじめたら、そのまま、とまらなくなった。読みすすめながら、私も、私の「存在を規定する記憶」を、ただ信じてていいのか疑いたくなってくる。かのじょの記憶は、戻るのだろうか? でも、記憶が"戻る"とは?

 「霊魂は比喩だと同行者は言った。比喩であり、絵にすぎないと。我々の想像が言語をまとって現れた、そのことはあなたも知っているではないかと」。

なんだろう、この感触は。絵、を思い浮かべるための言葉そのものは鮮明なのに、それを束ねるための何かが、どんどん遠のいてゆくような。(でも、その"何か"とは一体?)

今まで読んだどの小説にも似ていない。いや、強いて言えば、グカ・ハンの『砂漠が街に入りこんだ日』(原正人訳、リトルモア、2020)に、少しだけ似ている? まだわからない。

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とにかく、好奇心が疼くのだ。この本を、最後まで読み終えた頃、私は、一体、何を考えることになるのか…?

 

今日の源:ぺ・スア著、斎藤真理子訳『遠きにありて、ウルは遅れるだろう』(白水社、2023)