✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

「不確かでちらちらとゆれる弱い光」を……

メモ。「最も暗い時代でさえ、人は何かしらの光明を期待する権利を持つこと、こうした光明は理論や概念からというよりはむしろ何人かの人々が、彼らの人生と仕事に置いて、ほとんどあらゆる環境のもとでともす不確かでちらちらとゆれる、多くは弱い光から生じること、またその光は地上で彼らに与えられたわずかな時間を超えて輝くであろうことーー」(ハンナ・アーレント

西暦2022年。令和4年。民国111年の1月がやってきた。辛亥革命から約111年後の世界に自分は生きていると意識しながら、まさに「暗い時代のひとびと」に「光」をもたらした魯迅が書き遺した言葉を読んでいるとクラクラしてくる。

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今朝は、対馬美千子さんの論考『ハンナ・アーレント』をめくってみた。この本の副題は「世界と和解のこころみ」。魯迅を読むと世界との「和解」は激しく困難なことに感じられる。「真実」を暴かれると都合の悪い巨大な権力者は、いつ、どんな時代も、「真実」を知らしめようとする「目醒めた者」を小指一本動かすだけで捻り潰してきた。重要なのは、魯迅のような人たちがその生、その言葉を通して「あとから生まれるひとびと」に向かって投げかける「不確かでちらちらとゆれる」弱い光を感知した私(たち)が、その光にどう応答すれば歴史を真に気遣うことになるのか……それを具体的に思案することこそ、今の私にとって「歴史」を学ぶ、一つの道標となっている。

ものを考えるという行為を行う上で、誰の目も憚ることもなく、いくらでも時間を費やせる境遇にいられる者のうちのひとりとして、境遇に見合う責任を果たしたいとあらためて自分を奮い立たせている。自分が、誰かにとっての「あとから生まれたもの」であると同時に、別の誰かにとっては「先に生まれたもの」でもあると意識しながら。それに、あと3年もすれば「昭和元年」の100年後がやってくる。

今日の源:対馬美千子著『ハンナ・アーレント 世界との和解のこころみ』(法政大学出版局、2016)