『パパイヤのある街』(皓星社、2024)。日本統治期の台湾人作家による珠玉の小説が収録されたアンソロジー集。研究論文や学術書で必ずと言っていいほど見かける名だたる作家らの名前とその「代表作」が、ついに一冊の本の中に束ねられた! 日本が降伏し、台湾が光復し、台湾の統治権を日本が放棄してから79年めの夏。日本語圏の読者の一人として、日本語が台湾人のものでもあった頃のかけがえのない遺産を一冊の書物として受けとめる幸福を噛み締めている。勘違いしそうになるが、このアンソロジー集は”翻訳本”ではない。はじめからわたし(たち)の読める日本語で書かれた台湾文学なのだ。山口守先生による編者解説と台湾日本語文学関係年表はまさに永久保存版。「植民地支配がもたらした、台湾における日本語創作という『状態』」。表紙を飾る犬吉工作室による「33℃の植物採集」にも心掴まれる。
そんなことを思っていた今日、台風の中、新宿K'sシネマに行ってきて、『少年(小畢的故事)』を観た。若くて美しい妻の連れ子である「小畢」を大切に養い育てている「老畢」は外省人で、この人もまた台湾の父親なのだと思ったら胸が震えた。1983年の映画。公開当時の台湾はまだ戒厳令下だった。こういう映画が台湾で上映された頃の台北の風景を、自分はかろうじて覚えていると気づいた瞬間、眩暈がしそうになる。そして、ついにスタンプが3つたまって、狙っていた『バナナパラダイス』の絵葉書が貰えた! 母の再婚によって大陸出身の養父に育てられることになった台湾人の少年を演じたニウ・チェンザーが、『バナナ・パラダイス』では、故郷の大陸に帰れぬまま身分を偽って戦後の台湾を生き抜く下級兵士の半生を演じる。スクリーンの向うに見える台湾に心揺さぶられて、帰ってきて、夜になったら、台北でもうじき会う予定のフィリピンのアーティストが、周婉窈『台湾歴史図説』(南天書局)の英訳『A New Illustrated History of Taiwan』を探していると知る。それで私も、書棚からその本を取り出して、原作や英訳にはおそらくない「日本語版への序文」をめくって、気がつくと読み入っていた。曰く「実のところ、台湾人のこの不思議な歴史的状況は、日本との関係に由来するのだ、などと言えば事情はさらに複雑なものになり、『謎』が深まるばかりである。わたしの本は、もしかしたら読者のこうした『謎』にいくらか答えるものになるかもしれない」。日本語に翻訳された『台湾の歴史』をぱらぱらとめくりながら、相変わらずわたしは、台湾そのものについて知りたいのではなく、どちらかといえばわたし自身について知りたいだけなのだろう、という思いがよぎる。そして、自分にしか関心がない自分を恥じたり後ろめたく感じるのはもうよそうと考える。台湾か、わたし自身か。自分の好奇心の出発点を、いちいち区別しなくてもいい。わたしは、わたしの知りたいことを知ろうとすることで、わたしのいるこの世界を少しずつ知ってきたはずなのだから。少なくとも今までのところは。いや、これからだってきっと。
参考文献:『パパイヤのある街』(山口守編、皓星社、2024)、『図説 台湾の歴史』(周婉窈著、濱島敦俊=監訳、石川豪・中西美貴=訳、平凡社、2007)。