✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

「俺にとっての八月十五日」

メモ。「進駐軍の姿を眼にして、こいつなら腰投げで倒せるか、わざと下敷きになり、襟を締めてオトスのはどうか、焼跡の上で、妄想したものだ。軍国少年の故ではない、それまでの強者、帝国陸海軍の兵士が、みるも無残な姿となり、とってかわったのがGI、体格も身にまとうものも、武器も、けたはずれの印象だった。本土決戦となれば、俺たちはまず殺されたろうけれど、具体的な敵として、彼等の力認識し、その上で降伏したのなら、敗けたのかと、納得できる。敗戦だと訳知り顔がいうけれど、俺にとっての八月十五日は、レレレの終戦だった。

戦争責任をうやむやにしたツケが、今まわってきていると、よくいわれるが、俺は俺なりのツケに、がんじがらめにされている」(野坂昭如

「(母方の)祖父一家は台湾で羽振りよく暮らし、その死後も、ゆとりがあったのだろう。台湾で隆盛を誇っていた土建業T組の一人娘と、父のすぐ上の兄が結婚、つまり養子に入った訳で、この台湾がらみにより、父と母の縁談が持ち上がったらしい」。台湾で羽振りよく暮らしていた親の子である日本人の一人に野坂昭如がいたのかと思うとなんとも妙な感慨が。「…俺は、アメリカ人に軽蔑されることが好きだ。連中がこっちを人間扱いしなければ、すなわち殺されることはない。俺は、進駐軍に女を世話するのが好きだ、敗戦国の男は、戦勝国の兵士に、自国の若い女を人身御供としてさし出す、女も嬉々として、昨日までの敵に抱かれる、俺はあの風景を好もしく思う、自分は死ななくてすむ…」。さよなら、アメリカ。さよなら、ニッポン。さよなら、再見。明日は光復記念日。

参考文献:野坂昭如著『人称代名詞』(講談社文芸文庫、1988)