✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

たとえ、それは記憶するに値しないと長らく片付けられてきたことも。

メモ。「写真は、写っている〈いまここ〉を手がかりにしながらも、いくつもの別の時間への通路をひらいていくような表現だと思っています」(上原沙也加)

横浜市民ギャラリーあざみ野で開催中の上原沙也加さんの写真展(展覧会)。率直に言って、ただ、ただ、すばらしかった。見に行けて、ほんとうによかった。ほんとうに、ほんとうによかった。

 

「たとえすべての瓦礫が

跡形もなく

きれいに片付け

られたとしても」

 

はじめから、この展覧会のタイトルに私は心をうばわれていた。ギャラリーあざみ野の展示室に赴くと、展示されている写真と真剣な面持ちで向かい合う二十代や三十代と思われる若い人たちがいた。彼らにまぎれながら、那覇、宜野湾、糸満、恩納、名護、嘉手納……花蓮、緑島、台北、そして基隆……順番に見つめるという時間をたっぷりと過ごした直後、このタイトルがますます自分の奥深くでしかと刺し込まれてしまったことを感じずにはいられなかった。

「たとえすべての瓦礫が跡形もなくきれいに片付けられたとしても」。きっと私は、こういう「想像力」をこそ、働かせたいのだと思う。ありとあらゆる、どれだけ語り尽くしてもなお、語り得ぬものの気配に、可能な限り、敏感でいたいのだと思う。上原沙也加さんが写真を撮るように、私も、私の小説を書けたら、と願う。書こう、と誓う。幸か不幸か、行き場を失ったまま、あたりを漂っているはずの、「歴史」の破片や断片は、私たちに見つけられのをいつも待っているはずなのだから。

artazamino.jp

 

わたしたちには〈翻訳〉が必要だ——ひとつの意味に固定されない世界を楽しむために

すんみさんと、小山内園子さんの『2人は翻訳している』(タバブックス、2025)を抱きしめる。

お二人が共同で翻訳を手がけたイ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』と出会う以前と以後では、私の「対人関係」の仕方は確実に変化した。もちろん、いい方に!

一見、揺るぎのなさそうに見えるこの「世界」と、幾つになっても複雑に波打つ感情や感覚を持て余しがちな「自分」の間を”調整”するには、結局、言葉がもっとも頼もしい。ただし、言葉は万能でない、という覚悟もなくてはならない……ちょうどそんなことを考えていたのもあって、「一つの意味に固定されない世界」を”楽しもう”と呼びかける『2人は翻訳している』を、思わず抱きしめてしまったのだった。

しかもこの本は、日本語だけではなく、韓国語も束ねられている。なんと著者のお2人が「それぞれの母語で書いたエッセイをお互いに翻訳し」たものが、2つの言葉で綴られた1冊なのだ。さすが、タバブックス!(『私たちにはことばが必要だ』もタバブックス!)。

特別でない痛みが、そっと癒やされてゆく特別な時間ーーチェ・ウニョンさんの新刊!

『ショウコの微笑』に魅了されてからずっと、大好きな作家であるチェ・ウニョンさん。なんとこの秋、短篇集が2冊立て続けに翻訳刊行されている!

すごく似てはいないけれど、なんとなく響き合う二卵双生児みたいな2冊!

「無理して頑張らなくても」「ほんのかすかな光でも」。表題作に選ばれたタイトルだけで、もう、うるっとする。きっと、いつも、知らず知らずきゅっとなっているどこかが、この言葉にさすられて、そっと緩むのだろう。『わたしに無害なひと』に救われたすべてのひとの元にも早く、この2冊が届きますように。原文がいいのは間違いないのだろうけれど、古川綾子さんによる日本語に極上のやさしさがあるおかげで、ずっとウニョンさんの本を好きでいられる。日本語圏の現代韓国小説の読者はつくづくしあわせだなあとまた思う。

その日本語の「宛先」に、私もいる。

「父は最後まで『日本人』だったのではないか」。「父は台湾人であり、日本人なんです」。82歳になる周金波のご子息、周振英さんは語る。日本語で小説を書いた台湾人作家・周金波に関する記事を読みながら考えてる。その日本語の「宛先」に、私もいる。私はいる。私がいる。

恩師・Kに教わるまで、わたしは周金波をはじめ、日本語で創作していた台湾の作家の存在をほとんど知らなかった。どうしてだろう。胸に手を当てて、考え続ける。「延長上」にはいても、「台湾」人として「日本」語を書く上での「過酷さ」が、私とかれらとでは全然違う。3年以上前からずっと、それを忘れずにいようと決めている。

facebookより

恩師・Kによる「真ん中の子どもたち(母のくに)」の解説の一部も添えて。

『真ん中の子どもたち』白水Uブックス解説より。

 

「日本人になりたい」。「日本人でありたい」。皇民化教育を受けざるを得なかった旧植民地出身の人々の複雑な感情を、自分(たち)こそは「日本人である」と信じて疑わずにいられる人々が無批判に愛でるな、愛でるな。とはいえ安易なウヨクを叩いて叩いて叩くだけで自分はエライだのカシコイだの思える傲慢なサヨクにもなりたくはないのだけれど。まったくもうあれはイヤだこれもイヤだ、私はわがままばっかり。イヤイヤしながら書き続けてても、この身に危険は及ばない。私はやっぱりすごくのんきだ。

わたしは、わたしを育ててくれたすべての言葉でできている

"我"是由我讀過的文字組成的。/ "私"は、私が読んだ言葉でできている。
或者,可以說我一直讀的,只是讓我成為"我"的那些文字。/ あるいは私は、私を"私"にする言葉ばかりを読んできた。

『煌めくポリフォニー わたしの母語たち』の見本が届く。

ポリフォリンガル宣言

メモ。「散文作家にとって世界は他者の言葉に満ちており、そのまっただ中に彼は身を置いているので、彼はその独特な性質を感じ取るだけの鋭敏な聴覚を持っていなければならぬ」(デイヴィッド・ロッジ

私は、日本語以外の言語を日本語ほど巧みに操れない(さらに白状すれば、日本語を自分が操っているというよりは、日本語に自分が操られている感覚の方が強い時もあるぐらいなのだ)。そんな私は、自分を「バイリンガル」と感じたことは一度もないけれど、だからと言って自分は「モノリンガル」なのだと断ずるのにもためらってしまう。未だ私は、バフチンが提唱する「ポリフォニー」という概念を、十全には理解し得てないかもしれない。けれどもその概念も、それをあらわす響きも、私を誘惑するのだ。「バイリンガル」ではなく「モノリンガル」でもないらしい自分のことを、いっそ私は「ポリフォリンガル」と称してみようか? と。むろんそんな私に、今後〈ポリフォニー小説〉が書けるかどうかは、この先の努力次第なのだけれど。

今日の源:デイヴィッド・ロッジ著、伊藤誓訳『バフチン以後 〈ポリフォニー〉としての小説』(法政大学出版局、1992)

あかかるい恨みごとを、謳い続けて。

「私は、恨みというのに関心があるの。私など恨みだけで書いているみたいなものですもの。それ以外にエネルギーなどないと思います。恨みのない作品には、あまり力がない。ただ、それが陰気になってしまうのは嫌ですけれどね」(大庭みな子)

80年めの8月6日。大庭みな子の「浦島草」をめくっている。泠子さん、百歳になったかな。とっくかな。

今日の源:与那覇恵子編著、大庭みな子研究会『大庭みな子 響き合う言葉』(めるくまーる)