✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

未来との「関係」を更新する

メモ。「未来が、肯定的なものであるか、否定的なものであるか、という議論はむかしからあった。また、肯定的な世界のイメージや、否定的な世界のイメージを、未来のかたちをとって表現した文学作品も多かった。
しかしぼくは、そのいずれもとらなかった。はたして現在に、未来の価値を判断する資格があるかどうか、すこぶる疑問だったからである。なんらかの未来を、否定する資格がないばかりか、肯定する資格もないと思ったからである。
真の未来は、おそらく、その価値判断をこえた、断絶の向うに、〈もの〉のように現れるのだと思う。」(安部公房

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安部公房は言う。「希望にしても、絶望にしても、ぼくらの周囲には、あまりに日常的連続感の枠内での主観的判断が氾濫しすぎているのではあるまいか」。
それを、想像できている(と思い込んでいる)時点で、それは既に、私(たち)の〈他者〉ではないのに違いない。真の〈他者〉は、断絶の向うから襲いかかってくるものなのだ? 「この世で一番おそろしいものは、もっとも身近なものの中にあらわれる、異常なものの発見だ」と小説の主人公に言わせた安部公房がニヤリと笑う気がする夜🌛

今日の源:安部公房『第四間氷期』(新潮文庫、1970)