✍温聲筆記✍

温又柔が、こんな本を読んでいる、こんな文章に感銘を受けた、と記すためのブログ

かつて、女性は「参政権」がなかった。国際女性デーに思うこと。

メモ。「一般に、参政権という政治的権利の拡大は民主主義の拡張を示すものとして理解されている。納税額にもとづく制限選挙から「普通」選挙へ、そして女性参政権行使へ。それは、民主主義の担い手が広がり、より公正な形に近づいてきた証というわけだ」(髙谷幸)

今日は3月8日。国や民族、言語などを超えて、女性たちが達成してきた功績を祝福し、また、ジェンダーによる不均衡とその平等への実現を考える「国際女性デー」だ。

女性が女性であるがゆえに被ってきた理不尽と闘って、後世の、ということは、現代の、女性のための道を切り拓いた女性たち。その"功績"を特別に祝福するための今日のような日にこそ、しかと再読したい髙谷幸さんによる以下の文章(リンクは文末にあります)。

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「しかし日本の参政権の歴史は、そうした一方向的な動きではなかった」。

今日の源:

https://note.com/parite5050/n/na33a911ee8fe

 

「独裁者」がいる国の子どもたちは…

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メモ。「当時、ぼくたち子どもは政府を信用していませんでした。政府の言うことすべてに対し、信用を失っていたんです。子どもというのは、ごく小さい子どもであっても、自分には説明できないような何かを感づくものだと思います。少なくともぼくには説明できないものでした。蒋介石のことは全然すごいと思えなかった。ちっとも偉大じゃない。偉大だと言いなさいと言われれば『偉大です』と言ったものですが、心のなかでは『くそったれ』と思ってました。1分だって彼のためには使いたくなかった」(エドワード・ヤン

何度でも観たくなる映画。

今日の源:ジョン・アンダーソン著、篠儀直子訳『エドワード・ヤン』(青土社、2007)

 

未来との「関係」を更新する

メモ。「未来が、肯定的なものであるか、否定的なものであるか、という議論はむかしからあった。また、肯定的な世界のイメージや、否定的な世界のイメージを、未来のかたちをとって表現した文学作品も多かった。
しかしぼくは、そのいずれもとらなかった。はたして現在に、未来の価値を判断する資格があるかどうか、すこぶる疑問だったからである。なんらかの未来を、否定する資格がないばかりか、肯定する資格もないと思ったからである。
真の未来は、おそらく、その価値判断をこえた、断絶の向うに、〈もの〉のように現れるのだと思う。」(安部公房

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安部公房は言う。「希望にしても、絶望にしても、ぼくらの周囲には、あまりに日常的連続感の枠内での主観的判断が氾濫しすぎているのではあるまいか」。
それを、想像できている(と思い込んでいる)時点で、それは既に、私(たち)の〈他者〉ではないのに違いない。真の〈他者〉は、断絶の向うから襲いかかってくるものなのだ? 「この世で一番おそろしいものは、もっとも身近なものの中にあらわれる、異常なものの発見だ」と小説の主人公に言わせた安部公房がニヤリと笑う気がする夜🌛

今日の源:安部公房『第四間氷期』(新潮文庫、1970)

「わたしが間に合わなかった時代」に招き寄せられる

 メモ。「それはわたしが間に合わなかった時代だが、その時代は絶えずわたしを招いている」(鍾文音

 

 昨年の今ごろ、楊翠著『少数者は語る』の書評を書く機会に恵まれた。

 

 📚「家」をめぐる独自で多彩な世界 - 🕊温聲提示🕊

 

 冒頭で引用した鍾文音の言葉はこの本で知った。今また、その部分を読み直す。

「文化論述上の権力の場と政治生態の権力の場は、実は二枚の異なる構図だが、アイデンティティにおいて〈政治的に正しくない〉ことを自覚する論者は、逆にいつも主流のメディアの寵児である」。

 この「認識」を、「発言力」が備わりつつある「少数者」の、それもフィクションの作り手であるならば、決して忘れてはならないとつくづく思う。作家として発言できる、発言が許されるという状況にいられるのは、まぎれもなく権力なのだから。そのため、「少数者」としての発言を「多数派」の人々から望まれる作家こそ、何らかの「文化論述」を行うときには、常に注意を払わなければならない。要するに、「正しいのは私だ」といった態度からは最も距離を置かねばならない。少なくとも私は、「ああ、あなたの境遇をめぐるあれこれを全然知りませんでした。これまで知らずにいられたことが恥ずかしくなりました。本当にごめんなさい」といった「感想」しか引き出せないようなものを、ただの一文字も綴りたくない(そう言わせるものしか書けなかったとしたら、それは作家としての私自身の責任でもある。あるいは致命的な才能の欠如)。

 だからこそ私は、他人の中にそのような態度を少しでも見出すととたんに嫌悪感をもよおす。私は、みずからの「正しさ」を信じて疑わないといった態度を嬉々として前面に押し出すような「少数者」の「権力者」たちが、結局のところ、「多数派」と「少数者」の「分断」を促しているとしか思えないことがよくある。さらにその態度が、文学にとどまらず芸術一般の「軽視」から成っていると思えば、なおさら腹立たしい。文学や芸術を「(少数派である我々と違って愚かな)多数派を教化するための道具」としか思っていないらしい人たちとは口もききたくない。私が愛する文学や芸術はもっと多彩で、異様で、とてつもないものなのだ。いや、そういうものであるからこそ、私は文学や芸術を愛している。

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 さて。映画『悲情城市』の完成日が、蒋経国が死去し、李登輝が総統に就任した日と同日だとはじめて知ったのも、ちょうど1年前の今の時期だった。この事実を知ったとき、まさに自分が「間に合わなかった時代」に招かれている気がすると感じて慄いた。書けば書くほどに私は私の「間に合わなかった時代」に招き寄せられる。自分について、家族について、母国と母国の関係について。書こうとすればするほど、「歴史」が私を迎え撃つようだ。安心するな、とばかりに。ルーツ?アイデンティティ? 自分自身のためにだけなら、そんなもの、とっくに見つけてる。私が今探究したいのは、もっと自分からはるか遠く離れたものだ。

 

今日の源:楊翠著、魚住悦子訳『少数者は語る 台湾原住民女性文学の多元的視野』(草風館、2020)

 

「自分と自分が大事にするものの居場所」のために

メモ。「刻一刻と光は姿を変え、数えようのない青の色みを見せながら空は遠ざかってゆく。そして太陽が去ってゆく先にまた別の色が生まれようとしている。ほんの一時目を離せば見逃してしまうほどに目覚ましく姿を変える、名指す言葉のない色たち。時として、色の名前はそこにないはずのものを閉じ込める檻となる。どんな言葉でもそんなことはよく起こる。女、男、子ども、大人、安全、強さ、自由、真実、黒、白、富、貧しさ。私たちは言葉なしでは生きられない。しかし、せいぜいその容れ物からあふれ出すものや漏れ落ちるものが永遠に尽きないと知りながら言葉を使うのだ。そこには常に逃れゆくものがある」(レベッカ・ソルニット)

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ソルニットの自叙伝、『私のいない部屋』。刊行されてすぐ心踊らせながら手にしたものの、実際に読み始めるまで妙に勿体ぶってしまった。敬愛する著者による待望の本ほど、私はそうなってしまう傾向がある。年を跨いで2022年になって、この本を訳された東辻賢治郎さんのインタビューも含む板垣麻衣子さんによる以下の記事を読んで、今、ソルニットがこの世界にいてくれてよかったとつくづく思った。おこがましい自惚れと自覚しつつ、私もまた自分のことを、ソルニットの「後から来る」者のささやかな一人だと思っている。であるからこそ、ソルニットが「障害物」と名指すものに何を阻まれ、またどんなふうに飛び越えようとしてきたのか、その軌跡を辿るだけでも力が湧くのだ。

 

私が「声」をみつけるまで 米作家レベッカ・ソルニットさん:朝日新聞デジタル

 

『私のいない部屋』でソルニットは、「作家になること」とは「世界を覆っているさまざまな物語に意識的になり、それが自分の役に立つかどうか考え、自分と自分が大事にするものの居場所のために何か自分なりのヴァージョンをつくる術を知らなければならないということだ」と書いている。「自分と自分が大事にするものの居場所のため」の「何か自分なりのヴァージョン」。

私にも(誰にでもそうだろうけれど)、「自分と自分が大事にするもの」がある。考えてみれば私は、この日本という国の一員として不当に軽んじられる「疎外感」を知らずにはいられなかった立場だけれど、それと同時に、そのことによって「実力」以上に重んじられる方の負担もまた正直よく知っているつもりである。要するに私はしょっちゅう、「なぜ(私たちに対して)そんなに怒るの?」と「どうして(私たちのために)もっと怒らないの?」の間を行ったり来たりしている。その「間」で平常心を保つためにかなりの労力を費やしている気がする。最近になっていよいよ、この「両極」に居させられる時のリアリティーを肌身でわかっていることが私の強みなのかもしれないと思えてきた。そしてそれが作家としての私の「武器」でもあるのだとも気付きつつある。きな臭さがまとわりつく、武器、という表現を使うのをこの文脈では遠慮しない。なぜなら私にとって、私自身の健やかさを保つことは、まさに一種の「闘い」に値するからだ。それは意識的にせよ故意でないにせよ私を「傷つける」出来事やことがらとの闘いなのである。たぶん私は、自分自身に対してはもちろん、自分を取り巻くこの世界に対しても誠実でいようと思うなら、どう転んでも闘わなければならないのだろう。ただし、この闘いは、ヒロイックな陶酔からは、遠く、遠く、離れたものでなくてはまったくもって意味がない。ソルニットの存在は、そんな私の大いなる指針の一つだ。書くという行為による「行動」を、自分も継続しなければならないと励ましてくれる。

……と思っていたら、発売間もない「群像」最新号にソルニット特集が! 

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この三方のお名前と、それぞれのタイトルが記された目次を読んだだけで、すでにクラクラと嬉しくなる。心して読まなければ。

今日の源:レベッカ・ソルニット著、東辻賢治郎『私のいない部屋』(左右社、2021)

 

 

私には、彼を選ばないという選択肢さえなかった

メモ。「世界規模で踏み込んで来る人々のわたしたちを動揺させる圧力・圧迫にいかに対処すべきか(…)その圧力によってわたしたちは、自分たちの文化・言語に狂信的にしがみつくいっぽうで、他の文化・言語は退ける。時代の流行に沿ってわたしたちを鼻持ちならぬ悪の存在にする圧力。法的規制を設けさせ、追放し、強制的に順応させ、粛清し、亡霊やファンタジーでしかないものに忠誠を誓わせる圧力。なによりもこれらの圧力は、わたしたち自身のなかの〈よそ者(外国人)〉を否定し、あくまでも人類の共通性に抵抗させるようにわたしたちを仕向ける」(トニ・モリスン)

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1983年から東京在住だが、都知事、という言葉にはネガティブなイメージしか抱いたことがない。大学に進学し、ものをまともに考えはじめた20歳の頃、陸上自衛隊練馬駐屯地で開かれた式典で、三国人や外国人が凶悪な犯罪を繰り返してる、と都知事は言った。彼は、次の選挙でも、次の次の選挙でも、落選することなく、都知事として東京に「君臨」し続けた。彼が再選するのをまのあたりにするたび、顔のわからない、不特定多数の東京都民かつ日本人たちの「選択」に「三国人」の末裔である私は地団駄を踏むしかなかった。特に、東日本大震災直後である2011年4月10日に実施された東京都知事選の際は、死ぬかと思った。比喩でなく。頭痛と、過呼吸のせいで。

ついに、死んだのか。

今日の源:トニ・モリスン著、荒このみ著、森本あんり解説『「他者」の起源 ノーベル賞作家のハーバード連続講演録』(集英社、2019)

念のため追記。

ここに記した私のことばは私のものであって、それ以上でも以下でもありません。日本や日本人の「悪口」をただ言いたいだけなら、よそをあたって。経験上、予想はつく。いまの私に安易な共感は刃だ。

空白のパスポート

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 メモ。「トランジット・エリアに到着した乗客は地理上はある国に属しているが、法律上はどこにも所属しない。地上にありながらどこからも認知されていない。彼のパスポートにはくっきりと出国のスタンプは押されているが、入国のスタンプはない。一体彼はどこにいるのか。パスポートと国境という近代の領土化の制度が整備された結果生まれた〈空白の場〉にいるのだ。そこは空間的には完全に仕切りがつけられ、国際法上一種の島のようになっている。現地時間はあまり意味がなく、人々はしいてそれに時計を合わせたりはせず、いろいろな経度の時刻を肉体的に持ち歩いている。一人一人が別々の昼と夜を抱えて数時間を過ごす」(細川周平

 ヴェンダースタルコフスキーカルヴィーノ、カネッティ……さまざまな芸術家たちが「フィルムや紙の上に定着させためくるめく移動の瞬間と、自らの旅とを重ね合わせて、旅の〈概念〉を根底から書き換える、疾走感あふれるエッセイ集」の著者が「旅先のことよりも乗物や空港を語ることになってしまったが、鉄道と飛行機に乗っていることがたまらなく好きで、良き乗客であることが良き旅人の前提だと思っているのだ」と爽やかに綴るこの本が私は大好きだ。私たちの生活にはもっと〈空白〉が必要なのだと教えてくれる。そのためには、ほんとうの旅がうってつけだと示す文体は、読んでいるこちらの心の中に風を吹かせるだけでなく、光も射し込む。まんまと空港や飛行機が恋しくなる。今はそれどころじゃないと分かってはいても。

 考えてみれば、2020年の3月に更新した私のパスポートは一度もつかわれずどのページも「空白」のままだ。

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 最後に飛行機に乗ったのは2020年1月12日。その前日が、第15期中華民国総統選挙投開票日である。あの日、東京に戻る私を台北松山空港国際便出発ターミナルまで見送ったあと、父は台湾桃園国際空港でいつも通り上海に出発した。その後、COVID-19が猛威を振るうようになり、父が台湾にも日本にも帰ってこない日々は続く。妹の子どもたちはこの2年の間に、それぞれ5歳から7歳、1歳から3歳になった。「アゴンに会いたいね〜」と姪っ子が言ったとき、この子が祖父に会いたがる気持ちのたぶん百倍!ぐらいは父のほうも、この子やこの子の弟と会いたいと思っているんだろうなと思った。さらにいえば、台湾にいる96歳になる母親ーーむろん、私の祖母であるーーにも会いたいはずだ。とはいえ父はいつも朗らかだ。パパは楽しくやっている心配しないで、みんなも元気なら嬉しいよ、と電話の声は必ず明るい。こんなふうに私たち家族は東京、上海、台北でそれぞれ元気にやっているからまだいい。育児や介護、お互いを切実に必要とし合っているのに各政府の「外国人入国制限」に阻まれて出入国が叶わない人たちが今も大勢いる。

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 複数の国々に家族や親族を持つひとたちや、国境を跨って勉強をしている真っ只中のひとたち。誰もが必要な時に行きたいところに行けて、なんの心配もなく自分の家に帰ってこられるような状況に早くまた。そして、長い間、会えずにいる家族を恋しく思うひとたち同士がそれぞれ「別々の昼と夜を抱え」ながら次に会える瞬間まで可能な限りほがらかな気持ちでいられますように。

今日の源:細川周平著『ノスタルジー大通り ほがらかな旅の技術』(晶文社、1989)